塾を閉じる前、一番新しい塾生であったKさんと本当に久しぶりにお会いし、昨日も書いたように、今現在の私のこれからやりたい、再出発の塾へのおもいを直接伝えるべく、お会いし話ができた。
一方的な私の思いを、ただただ根気強く彼女は聞いてくれた。まずそのことへの感謝を、きちん、と五十鈴川だよりに打っておきたい。久しぶりに会って最初に抱いた印象は、閉塾前よりもずいぶん大人になられた(ごめんなさい)感じで、上手くは言えないのだが、このコロナ渦中でも、きちんと生活されている雰囲気が感じられ、私はうれしかった。
さて、そのようなKさんとの再会時間は、私のこれからの新しい塾へのおもいが、老いたからだから、いまだあふれ出て、瞬く間に3時間以上が流れた。
彼女と別れ 家に戻ったのちも、気分が高揚していて、とりあえず第一回目のレッスンを、思いついたら吉日、いつどこで始めたら始めようかとの思いが、頭の中を揺れ動いた。気分を抑えるために窓から月を眺め瞑目した。そして、はっきりと決断した。
彼女と相談して、彼女の都合のいい時間帯、そして私の都合のいい時間帯と折り合いをつけ、年内は夜ではなく(彼女一人とのレッスンなので)午後からのレッスンをやりたいとつたえることにした。
夜でなければ、岡山まで私が出かけることもできるし 、二人だけならコロナ渦中でも、距離をとって音読ができるのではないかと考え、とりあえず、彼女の都合を優先し、とにもかくにも、第一回のレッスンを始めることにしたのである。(今日彼女に伝える)
こんなにもの急な速さでの、おもわぬ展開、彼女との直接再会で、私の中に在り難さと、嬉しさが満ちて、Kさんとのまずは二人だけのレッスンから始めたいとの思いが、静かに強く湧いてきたのである。
私とのレッスンを望む、貴重なKさんの存在は今を生きる私に静かに火をともしたのである。陽が沈み月の光を浴び、私の中に音読への情熱が再びわいてきたのだ。Kさんの存在がなければ、シェイクスピア音読自在塾は生まれなかったかもしれない。
ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾は、遊声塾とは異なり、シェークスピア以外の作品も音読するし、時に企画もしたりする変幻自在な塾を目指す。そのためには少人数の小回りのきく塾でありたい。
そのためには論より証拠、まずはゆっくりと。だが人生時間は有限、受け売りだが哲学者のカントは言っているそうだ。ヒトは活動している中でのみ、生命を感じると。であるならば音読できる今、活動するだけである。
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