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2021-09-23

【ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾】9月26日から開始、そして想う。

 予期せぬ思わぬ早い展開で、音読自在塾を開始できるとは正直思わなかったと、打たなければならない。が、やはり命運の時は、このコロナ渦中であれ、静かに流れ、考えていたことのあれやこれやが発酵し、機が熟していたのだと今は思える。

さて、今日は春に手術、退院してちょうど半年である。再び新しい塾を再開できるなどとは 半年前は想像だにできなかった。あれから半年の時が流れ、結果遊声塾を閉じ、音読自在塾を静かに始めることになったのは、やはりKさんとの縁が大きかったと、そのことを五十鈴川だよりに記録的に打っておきたい。

運命の糸は、どこでどう絡み合い、もつれ、ほどけ、また新たに結ばれるのやら、私自身まったくわからない、というしかない。手術入院を家族やながいつきあいの友人以外には知らせていなかったときに、Kさんから思わぬ長いお便りメールをいただいたのが、音読自在塾に結実したのは間違いない。

私はコロナ渦中自粛生活の中、リハビリ労働を続け、閉塾する意思を固めつつ、先の見通しが見えない中新しい塾を立ち上げるための準備をしていたのだと思う。 話を戻すと、Kさんからのお便りメールの内容は、私の思いもしないことがつづられていて、私の退院間もない体の奥に届いたのである。

とりあえずの返信に手術したことを伝え、その後、どうしてもお会いしてお礼を伝えたい方に倉敷であった際、Kさんにもお声掛けし、わずかな時間再会がかなったことが、音読自在塾につながったのだというしかない。(その時は話がほとんどできず心苦しかった)

話は変わる、7月24日次女に初めての男の子供が授かり、8月半ば8日間ほど上京した際、コロナ渦中に授かった孫の顔を眺めながら、久しぶりにKさんに少し長めのメールを打ったのだが、その返信にも変わらぬ音読へのおもいがつづられていて、徐々に私の中で、Kさんのおもいに応えられるような新しい形での塾ができないかと、一気に私の中の何かが動き始めたのである。

時に、小心者の私の心が裏返り、大胆な行動に走るのは、もって生まれた性格である。Kさんは本人でさえようとしない新しい塾に、一人でも参加したいとまで言ってくれた無謀なヒトなのである。先のことは考えず、ここはひとつ受けてアクションを起こすことだと九州男子の決心がついたのである。すべては一から始まる。

Kさんは西大寺まで来てくれるという。コロナのために、西大寺の公的な施設が9月中は閉館し使用できないのだが、妻が一人なのだし家でやってもいいといってくれたので、Kさんが良ければ今週の日曜日から、ゆるやかに開始することにした。


 

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