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2021-09-12

ケネスプラナーのフィルム作品【シェイクスピアの庭】をDVDで見て、想う。

たまたまツタヤにいったら、シェイクスピアの庭というDVDが目に飛び込んできた。ケネスプラナー自身がシェイクスピアを演じかつ演出する。シェイクスピアが筆を折、故郷に帰って亡くなるまでの家族との再会、晩年のシェイクスピアの謎の生活に焦点を絞り描いている作品。

五十鈴川だよりに記録的にわずかでも打っておきたい。個人的にこれまでの人生時間の中で、高校生の時から、シェイクスピア作品にずいぶんと良い意味で影響を受け、今に至るもその作品のコトバの何かが舞い降りたとしか思えない詩的感受性には、脱帽し続けている。

【シェイクスピアの庭】状況に応じて、広大無辺に変化し移ろいゆく、人間の魂の高貴さから愚劣さまでを宇宙的視野の中でコトバ化し、今も世界中で翻訳上演され数々の傑作名作を遺したウイリアム・シェイクスピア。その偉大な劇詩人の晩年時間を描いたまさに傑作である。

高校生の時に見たフィルム、フランコゼフィレッリのロミオとジュリエット が私のシェイクスピアとの出会いだが、18歳で上京し、小さな演劇学校に入り学び始めた私は、シェイクスピアの作品が上演されると、かつかつの生活をしながらもできる限り劇場に足を運ぶようになっていった。

そのような時に当時、私が20歳から21歳にかけて、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(以下RSC)が日本公演に来ており、たまたま日生劇場で私はピーターブルック演出の夏の夜の夢と、ジョンバートンの演出の十二夜を見ることができた、そのことの幸運は、今もって五十鈴川だよりに打っておかねばという気になる。(くらいにすごい舞台だった)

 長くなるが打っておこう。シェイクスピアの庭で妻の役を演じていたのが、私が見た十二夜の中で双子の妹ヴァイオラ を演じていた、ジュディデンチなのである。あれから五十年近い歳月が流れている。風格というしかない静かな存在感に圧倒されてしまった。

話は飛ぶ。一念発起、数年バイトしお金を貯め、二十五歳から二十六歳にかけて、私はロンドンに遊学した。RSCを中心に!00本近くの舞台作品を見たが、今に至るもこの時に見て唸った舞台作品のベストワンが、トレバーナン演出の【マクベス】。マクベス夫人を演じていたのが、あれから6年近い歳月が流れたのちのジュディデンチ。そしてマクベスを演じていたのが、イアンマッケラン。

この二人の傑出したというしかない、火花を散らすようなシェイクスピアの原本のコトバの、韻律が耳に心地いい。鍛えこまれた肉体から発せられる、見事というしかないシェイクスピア劇の台詞術、神髄の妙に圧倒された日の出来事観劇(感激)体験は、まさに一期一会というしかない、わが生涯の今もっての宝の思い出である。

私はこの舞台をシェイクスピアの生まれた、ストラットフォードの大劇場ではなく、当時設立されたばかりの、実験的な小劇場、THE・OTHER・PLACEで25歳の秋に見みた。そして翌年、26歳の時ロンドンにやってきたマクベスを再び、(RSCにはロンドンにも本拠地劇場がある)これまたストラットフォードと同じ実験的小劇場WAREHOUSEでもう一度見た。

両方とも200人くらいしか入らない小さな小屋、劇場なので手の届く距離、二人のやりとりの凄まじさに若かった私は打ちのめされた。時にイアンマッケランの口からツバキが飛ぶ。眼底に焼き付けたかったのである。この観劇体験がなかったら、後年シェイクスピアシアターに入ることはなかっただろうし、シェイクスピア遊声塾を立ち上げることもなかっただろう。人生は偶然に偶然がもつれ合い、結果的に必然となる。

話をシェイクスピアの庭に戻す。このフィルムには、あのイアンマッケランもまた登場する。シェイクスピア役のケネスプラナー・妻の役のジュディデンチ・公爵役のイアンマッケラン。あれから43年の歳月が流れても、画面を通して聞こえてくる声はまったく変わっていなかった。

映画を見ながら、様々な記憶の糸がもつれ合い、ケネスプラナーのシェイクスピアへのおもいの深さが、作品化する執念が、フィクションとしてシェイクスピアの晩年生活に挑む情熱に打たれた。ケネスプラナー、ヒトは老いてなお深化する。

そしてケネスプラナーのおもいに応えて、ジュディデンチ、イアンマッケランもまた素晴らしい演技を披露する。二人もまたシェイクスピアへの敬愛の深さで応える、3人の友情が伝わってくる。老いてなお健在静かでゆるぎない演技力に私は画面を通して心から脱帽した。 

低予算のなか、わずか2か月くらいで撮影されたとは思えない、しっとりとした落ち着いた当時の家屋が残っているウインザーエリアの田園風景がなんとも言えず美しい。今の私の年齢に染み入ってくる。私がこの世から消えるまで面影は生きる。

若き日、ストラットフォードの白いユースホステルから劇場に足を運んだ時のことが思い出される。若気の至りに今となっては、人生は一度だけ、お導きがあったというほかはない。


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