朝が来た。時は流れ2月最後の日。本当に一日一日が、この歳になると変なたとえだが愛おしく感じる。今日も元気で要られることへの感謝が深まる。感謝の念は健康だからこそ湧いてくる。健康でなかったら、五十鈴川だよりを書くことは先ずかなわないだろう。
書きいつながら想うのだが 、以前も書いたかもしれないが年齢を経るにしたがって、五十鈴川だよりの流れは、細くなり書く回数も減り、いずれは諸行無常の世界へと回帰してゆくのだろう。
だが今はまだおかげさまで、週に何度か五十鈴川だよりを書くことで、今現在のおもいや体調ほかを確認できる。そのことがあり難く特定の宗教は持たない私だが、故郷のご先祖の地にある宇納間神社に詣でたいと思う気持ちが、日に日に強くなるのを抑えることができない。
このところ減少傾向にあるとはいえ、このコロナ感染ウイルスとの共存は長い展望を持って臨まないと、以前の様な終結宣言は望めないのではないかという気がしてならない。
以前も書いたが、いつどこで誰がかかってもふしげではないのがコロナ感染症、自分なりに過密を避けッ手洗いやマスクをしたうえでも、万一完成した場合のことを考える。
過剰な風評などが、あっという間に飛び交うこのネット社会、の網から逃れるには自分で対処すよりは、私のような老いらく脳天気凡夫は、細心の注意をもってできるだけデジタル世界は近親者との交流にのみにして、限りなく前近代的アナログ地上生活を可能なら、全うしたいと夢見るのである。
話は変わるが、私の青春時代大スターであった、石原裕次郎さんの足跡をしのぶドキュメンタリーをBSで観た。なんと3時間の枠。エンターテイメント映画を多く手掛けていたがためにあまり作品を見た記憶がないのだが、高校生のころ由美かおるさんと共演した映画を見た記憶がある。由美かおるさんの鮮烈さの方が、男の私には記憶に残っているのだが、もう半世紀前のおぼろな記憶。でも懐かしい。
珍しく3時間画面をみ、私自身の昭和の思い出と重ね合わせながら、じっくりと見入った。番組の終わり、遺されたシンプルな優しい言葉の中に、青春という言葉に対する祐次郎さんの伝言が伝えられた。
年齢を超えた熱き思い。これまで生きてきた中での大事なヒトや仲間とのとの宝の思い出をいかに発酵させ、これからの生きる糧にできるのか、できないのかが、大事なのだと知らされた。
戦後10年目に創られた映画、狂った果実の共演で運命的な出会いの末、結ばれ結婚し、最後まで献身的に見守られた奥様に昭和の女性の鏡を見るのは、時代にそぐわぬ初老男の単なる感傷である。
一途。全う。けなげさ、というものに私は惹かれる。私の母もそうだが、私の中の男としての一方的な思い込みである。男性女性の間に正解などというものはありえない。
再び話は飛ぶが、このところ三船敏郎さんもそうだが、昭和の大スターをしのぶすぐれたドキュメンタリーを目にする。黒澤明のフィルムといえば三船敏郎という存在は不可欠であった。
とまあ、このようなことを朝から書き始めたら単なる思い出五十鈴川だよりになってしまうが、いくばくかコロナ感染症が収まり移動がしやすくなったら石原裕次郎記念館にも、いつの日にか行ってみたくなった。それにしても石原裕次郎の魅力とは何だったのか。笑顔が素晴らしい。