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2020-01-18

K子さんが我が家にやってきて西アフリカの写真を見てくれ愉しい対話時間がもてました。そして想う。

一昨日午後、我が家に塾生のK子さんが私が撮った西アフリカの写真を見にやってきた。我が家の一階のリビングは昼間は薪ストーブが焚けないし石油ストーブだけでは寒いし、二階の書斎は狭い。だから日の当たる、つまりは一番広い、私のお気に入りの仕事部屋で、とりあえず西アフリカ、ギニアのママディ・ケイタの故郷を訪ねた(1997年12月)写真を中心に見てもらった。こたつに入ってもらって。

詳細は割愛するが、おおよそ3時間、お話をしながら、私も本当に久方ぶりに異国世界に回帰、西アフリカへの旅がわが人生でできたこと、夢の中での出来事の様、世界はあまりに過酷で多様で美しいのである。私の中の記憶のシナプスが動き始め、多々苛酷な試練の旅が思い出された。今となって思うことは、よくあのような旅が実現できたものであるとの思い、天への感謝しかない。

それにしても、K子さんがあんなにまじで私が撮った写真を喜んでみてくれたこと、私が撮った極めて個人的な西アフリカの旅、人々の生活風景写真に見入ってくれたことが、ただたた意外で私にはうれしかった。あらためてきちんと整理して残しておかないといけないと思わされた。

K子さんも想像以上にたくさんの写真があったのに驚かれたようで、まずは写真をゆっくりと見るだけでも半日以上はゆうにかかるので、整理は時間をかけて私も半年から一年かけて、合間合間時間を決めてゆっくりと分類しながら、数人でやってゆこうとのおもいが、私の中での気持ちが、K子さんの思わぬ登場で胎が決まってきた。

もしK子さんが、見たいみたいと 行ってくれなかったら、またしばらくは日の目を見ることはなかったかもしれないと考えると、K子さんにはありがたいという言葉しかない。

来ていただいて、ただ写真を見てもらって世代を超えて、いろんな多岐にわたるお話ができただけでも私には、思わぬ意外な非日常的な時間となり、体力気力があるうちに、いつの日にか人生最後の長い旅に出かけてみたいとの、(静かな自分の暮らし、いまはそれが愉しく面白い)気持ちが一方で湧いてきた。
ギニアのママディのふるさとの写真

意外でうれしかったことがもう一つ、妻も一緒にお茶を飲みながら、我々の会話に参加してくれたことである。よもやまさか3人でのこのような時間が過ごせるとは思いもしなかったので、人と人が出会うということの、妙味相性は神のみぞ知るというほかはない。

まず妻は、ほとんど初対面の人との会話には入り込んでこないので、きっと犬や猫が好きなK子さんとはウマが合ったのだろう。人柄個性というものは天与の物である。ヒトは運命に導かれ、運命を開拓する。何かのお導きは、私の場合だが、感動力という言葉しか思い浮かばない。

単なる田舎者の一青年に備わっていた唯一の感性は、感動するばねのようなものがわずかではあったおかげで、それに縋り付いて今も生きていられるのだと思える。自分の内なる情動に突き動かされてゆくといってもいい。小さいころから痩せていて、虚弱体質で体力がなく、何度も挫折くじけたのだが、あかんと思ったら一度撤退、気が熟するまでまた力を蓄えチャレンジする。

これの繰り返しで生き延びてこられたのだと今は思える。妻をはじめあらゆる人のおかげなのだというしかない。K子さんとの出会いもまた、ご縁である、輪読会をやらなかったら出会うことも入塾もかなわぬ幻と消えたであろう。
美しく着飾ったギニアの村の女性の後ろ姿

高校生の時演劇世界と出会っていなかったら?W・シェイクスピア作品と出会わなかったら?演劇は哲学と呼べる世界最古のもののとらえ方・見方・考え方の肝心な原型、鋳型のように私には思へる。あれから半世紀以上の時が流れたが、狭い思考に陥りがちな、流される(その方が楽で安全ではある)自分に今だ演劇的な思考の柔軟さの大切さを、考えるヒントを、勇気を示唆してくれる。

ママディのふるさとを訪ねたギニア・バランデュグ村での出来事は、私のふるさと回帰に火をつけた。きっとあの体験が、五十鈴川だよりとなり、先祖の聖地宇納間村をその後私が足しげく通うことになったのだと思える。

K子さんが我が家に来てくれたことで、写真の整理の前に、かなり私の心の整理ができ、書いているうちに、文字としてかなり整理ができた。K子さんのおかげである。ヒトは出会い、物を一緒に食べ恥も外聞もなく自分をさらして対話をする勇気を持たないといけないと、初老男は知らされる。

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