来月68歳になる私にとって、この二日間の出来事は、もし、後年もっと私が生きた時に振り返ることがあれば、大きかったと思えるように、これから生きる時間を歩まねばならないという、こころもちの今朝の五十鈴川だよりである。
先生の言葉を受け止める力を養い、いつの日にか用水路を見たい |
さて、昨日の中村哲先生のお別れ会、西南学院大学の2000人はいるホールは私が会場についた時にはすでに満員で、私は会場ではなく202教室のモニター画面でで式の進行に参加した。かろうじて座ることができたが、立っておられる方もたくさんおられた。素晴らしい式次第だった。何度も目頭が熱くなった。残された御家族のたたずまい、お言葉には胸が詰まった。参加者の雰囲気、がすべてを物語っていた。行けて本当に良かった。
長々とは書かない。今後もささやかにペシャワール会の会員であり続けたい。生きて現世で、土取さんや中村哲先生に出遭えたことの幸運は、私の貧しい文才では到底記しきれない。だが、たった一言ではあれ出遭えたことに対しての心からの感謝は、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。
それにしても、昨年12月の中村哲先生の思わぬ予期せぬ訃報。今年に入ってから土取さんとの思わぬ再会、翌日の中村哲先生とのお別れ会が続いたことは、単なる偶然と呼ぶにしても、私にしてみれば稀な啓示としか思えない。暗示的に考えてしまう。(考えたい)
想像を絶する記録、我が家の宝とする |
土取さんとは出会った25歳の時からのお付き合いで、その間電話を直接もらったのは2回目だから、土取さんが私に電話をくれるなんてことは、よほどのことである。前回もそうであったが、土取さんから声がかかるのはめったにない。どこか信頼されているから電話をいただけるとしたら、ありがたいというしかない。
中世夢が原で働いていた時に、土取さんとの出会いを 未知の国への水先案内人という短い文章で書いたことがある。土取さんはいまだ私を未知の世界へと導く。そして中村哲先生もまた。
世界がますます混沌化、カオス化してゆく時代、(便利でテクノロジーが発達すればするほど体は悩む気が私はする)私を含めた大多数の人間が底知れない不安の深淵を感じているが、中村先生の言葉や、土取さんが取り組んでいる添田亜(左に口篇の)蝉坊演歌の世界の歌詞内容をしっかりと受け止める力があれば、おたおたすることはないのである。
今この時代、世界の人間の心の在り様は複雑怪奇さををましている、この一見両極的に見えるお二人の生き方、物の見方考え方、そのとてつもない常人には考えられない実践力には脱帽するが、常人には常人なりのやり方で寄り添いながら同道できる。(と考える)お二人は(中村哲先生は召されたが私の心の中には生きている)これから生きる私の足元を照らす、明かりのような、まるで合わせ鏡のような存在である。
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