ページ

2020-01-06

私の中の年明けは、体を動かしての労働から始まる。

今日から仕事始め、というとオーバーだが、アルバイトとはいえ賃金の多寡ではなく、動いて銭を稼ぐということは、生半可なことではないことは、曲がりなりにも18歳からいろんな仕事をしながら糊口をしのいできたので、少しはしみている。

私の場合、銭を稼ぐ手段としての仕事が振り返ると自分を鍛えてくれたのであるとの実感を持つ。このことに関してはまたゆっくりと振り返り、書きたいとのおもいがある。

向き不向きは関係なく、その日を生きるために仕事を選んでなどいられない場合が、(特に若いころ演劇を学んでいて、生活が不安定であったので)多かったので、思いもかけぬ片付けや出来上がった家の、最後のお掃除とかの二日三日の短期の労働も入れれば、世の中には実に多種多様な仕事があり私を鍛えてくれたのである。

結婚し子供に恵まれて安定した仕事に就いたのだが、それまでは実に不安定な生き方を私の場合してきたことになるが、亡き父が男は30歳まできちんと頑張れば、そのあとからでも生きてゆくことができると、言っていたことがどこかで支えになっていた。

今思えば綱渡り、どう転んでもおかしくはない人生を歩んできたのだが、20歳の終わり一度日本を脱出しようとの思いが忽然と湧いてきたときのおもいは、いまだにはっきりと思い出せる。いま思える、言えることなのだが、あの時の選択がなければ 今の私はない。それほどに大きい。

今年も信頼できる方々から謙虚に学びたいと思う
男は30歳くらいまでにその後を生きてゆくための(生ききるための)経験体験、自分なりのある程度の常識的な、自分なりの物の味方を身につけるのではないかという気がする。

朝から思わぬ話になったが、いきなり話題が変わる。年明けからイランとアメリカの関係に緊張が走っている。中東やアラブ諸国の地理や歴史に疎い私なのだが、何かとんでもないことがこらなければいいのだがと、思わずにはいられないほどに、お正月気分が吹き飛ぶほどの、ニュース。

とにもかくにも、穏やかな日常の平和というものを、守るためにもささやかに五十鈴川だよりを書きながら、世界の動向にも一庶民として、ものを想う心をキープしたい今年の始まりだ。熱狂はしても、あくまで冷静に。(とくに一方的なマスメディア報道、その場限りの、深みのない繰り返し刷り込み映像には気をつけないと、人間の感覚は麻痺するので危ない、戦前の映像を見ると、とにかく日本人は一色になりやすい気がする、自分のことだが、国粋的に熱狂しやすい。オリンピックの年だが、金メダルの数ではなく、私は世界の今を生きるアスリートの人間の魅力、人間力をこそ見たい)

時間が来た。私の中の年明けが始まる。

0 件のコメント:

コメントを投稿