ページ

2019-11-09

晩秋の日の出、日没、月の輝きの中でひとり想う。

夜明けとほぼ同時に家を出て、休日のほぼルーティン的日課である声出しを約一時間ほど済ませ、朝食を終えての五十鈴川だよりタイム、立冬を過ぎ穏やかな秋の陽ざしが二階のわが部屋に差し込んでいる。

さっと新聞に目を通したが、私のような凡庸な頭では、理解に程遠い紙面を埋める記事が、文字が、言葉が飛び込んでくるが、関心のない記事にはほとんど目がゆかないし、脳が閉じたままである。

それでも老いゆく今にまるであらがうかのように、目が留まる記事を探す自分がかろうじている。そして見つける。たとへば、昨日の紙面からでは、福岡工業大学研究チームが確認した、空気中にもマイクロプラスチック、の記事。
CW・ニコルさん尊敬している

また、発言の欄ではノンフィクションライターの岩本宣明氏の一文、日本から科学者が消える日などは、切り抜いてゆっくりと読む。定年退職してから一番うれしいのは、やはり時間的にゆっくりと物事に余裕をもって取り組めることである。

朝日を浴びながら、時間を気にせず新聞を読めたり本を読めたり、さわやかな秋の空に向かってなんの束縛もなく声を出せるいっときが、コトバにならない足りている今を実感、何もない我が身一つのシンプル健やかさを感じ感謝するのである。

もう十分に、あくせく否応の人生を送ってきた自分を顧み反省し、もうそういうこれまでの自分とは限りなくおさらばしたいという自分がいる。三つ子の魂はいまだ健在ではあるものの、なんだが本当に家から(近所から)出掛けなくなったし、わずかしかお酒も飲まなくなった。まるで引きこもり老人である。

それでも十分に満ち足りた日々を、ようやくにして送っている自覚がある。やりたいことの焦点を絞り、微妙にうすい薄い自分の殻をむき続けることを継続持続する喜びの時間をこそ、これからは大切にしたいのである。

弓の巻き藁の稽古も、時に指が痛く気分がふさぎこみがちに(人間ですから)なったりもするのだが、そういうときにもひいていると、ふさぎの殻が吹き飛ぶことをすでに身体が知っているのであえてやる、(いかに人間の心が体に左右されるのかがわかる)

気分がふさぐ記事があまりにも多い昨今だが惑わされない。そのような紙面の中に人間へのゆるぎない信頼と希望の記事を見つけながら、なにはともあれ自分が変化する可能性をささやかに掘り続けたいと、きれいな秋の月を眺めながら初老男は想うのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿