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2019-11-02

先週の上京2泊3日の旅、その1。

一週間ぶりの五十鈴川だよりである。先週土曜日から二泊三日で上京してきたことを身体が新鮮なうちに書いておきたい。

スケッチ風に。まず土曜日は着いて赤坂のホテルに荷物を預け、18歳の時から半世紀にも及ぶ交友が続いている、最初に私が上京してすぐ入った演劇学校、貝谷芸術学院で知己を得た先輩、佐々木梅治氏の演劇人生50周年自主企画、井上ひさし作【父と暮せば】を午後3時から見る。

佐々木梅治氏の、企画・構成・演出・出演の芝居一人語りである。氏は2003年からこの芝居の一人語りに取り組み、上演回数200回の記念公演。場所は浅草の木馬亭。金曜日から火曜日までの毎日一回、公園は五日間行われ私は公演二日目の午後3時からの公演を見届けた。上演時間は一時間20分。

また、氏についてはゆっくりといずれ書くことがあると思うが、18歳からの3年間かなり密に公私ともに過ごした(1970年から72年)ので、その時代の空気感の中、多様な影響を受けた先輩の一人なのである。

一言半世紀というが、その時の演劇学校で知り合った仲間の一人はすでになくなっていたりもしているし、信念を貫き、現役で自主公演までやり続けながら、演劇人生を持続している先輩は氏一人になってしまった。めでたい私にとっての慶賀な出来事というほかない。

舞台を拝見しながら、様々な思いが去来したが、【父と暮せば】になぜかくも氏が情熱を傾注して持続公演を重ねているのかは謎だが、この芝居の何かが、氏の琴線をとらえて離さないのだろう。この一人語り、企画者時代岡山でも2度ほど私が自主企画でをやっている。(名作は古びない)

今回見るのは本当に久しぶりなのだが、以前見た時よりも深く心にしみた(泣けた)のは、私がおそらく老いつつ、娘二人を無事に育て嫁がせ、何とか父として多少の役割を何とか終えることができたことに由来している。(気がした)

ともあれ、出会いから間もなく50年、人生はまさに偶然なのか必然なのか不思議というほかはない。公演後奥様中心に近親者での当日打ち上げに飛び入り参加させていただき、一次会(佐々木氏は明日の公演があるので途中で退座)二次会まで浅草の夜をはじめてであった方々と楽しく過ごし、赤坂のホテルに。

翌日曜日朝早くホテルを出て、8時過ぎに稲城に住む長女のところに。孫の望晃(ノア)君は早起きすでに朝食を済ませていた。私が玄関でおいでというと、久しぶりなのに物おじしない、すぐ私の胸に飛び込んできた。これ以上綴ると爺バカになるので控えるが、言葉がないほどに可愛く、好奇心満々で日々成長している。一歳と間もなく8か月、言葉への理解力、反応が速い。

しばし遊んでいると、次女がやってきた。レイさんはその日友人たちが午後やってくるので、昼食の準備に取り組んでいたので、娘二人とノア君の4人で気持ちのいいお天気の中、近所に買い物がてらお散歩、途中に遊具があったのでノア君はしばし滑り台などの遊具に夢中、爺も少し持ち上げたりして手助けなどしながらともに遊ぶ。

ノア君はとにかく一時もじっとしていない、ホモルーデンスとは?走りたいのだろう、歩くというよりは、気持ち走っている感じで移動する。動ける自分が面白いのだろう、その姿がなんとも言えない。とある遮断された(新しく作る住宅地を整地しているパワーシャベルが置いて在っては入れない)金網のところで転び瞬間べそをかきそうになったが、立ち直りが早い。
天使を肩車、爺は身体を鍛えて遊ぶのだ

見たこともない虫と出会って、いきなり顔が引きつったりして泣き出す。うーむ、孫は日々新しく世界と向き合って森羅万象を体得している。これから会うたびに男同士いろんな体験をするのが楽しみである。孫のおかげで爺も何か新しい自分が生まれるかもしれない。

その日は、お昼前に次女と共に長女のところを辞し、夜次女夫婦と赤坂のホテルの近くで待ち合わせ夕食。(その間私は神田界隈でひとり時間を過ごし、早めにホテルに戻って待機していた)

待ち合わせたのは夕闇迫る5時20分。ホテルから歩いて15分くらいのところにある赤坂見附の近くの、とある関西風のおでんと和食のお店、次女が予約してくれていた。次女は2か月前結婚したばかりである。二人目の義理の息子がレイさんに続いてできた。名前は周平さん(書いてもいいよね)これも親ばかになるので控えるが、好青年である。

3人での穏やかで楽しい語らいの夕食が進み、私が周さんに頼んでいた、イラスト入りの素晴らしい名刺が出来上がっていて渡された。大満足の仕上がり、名刺を作る気になったのは、また別の時に書きたい。周さんという息子がレイさんに続いて、娘たちの結婚のおかげで、忽然と私にできた不思議感を何と言葉にできよう。

周さん、シェイクスピア遊声塾これでエンジンが入る、感謝。
これまた、偶然か必然化、人生はまさに予期せぬことの連続の連鎖の上に刻々と刻まれてゆくのである。名刺のお礼に私がご馳走しなければいけないのに何と周さんがご飯代まで支払ってくれていた。たいして飲んでもいないのにいい気持になり、初老男は幸福であった。

周さんはお酒をたしなまないので食事を終え、偶然見つけたアラビアコーヒーの一家言ある主が営んでいるこだわりの茶房でコーヒータイム。値段は秘す、野暮は苦手である。人生忘れられない思い出がいかほどできるか。良き記憶は財産である。(やがては忘れゆくも、だからこそ今を切なくも大切に生きるのである)

平坦な人生などあるはずもない、力を合わせ乗り切っていってほしい。二組の娘たち夫婦に対して不即不離の関係で、おじじとして迷惑をなるべくかけないように見守ってゆくべく、私もいよいよこれからが、正念場である。(続きは明日書きます)

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