リア王発表会が、まさかの集中豪雨で延期になって、どこにも出かけない 暑い夏がひたすら続いていたが、それも今日を含め明日が過ぎればまたもやの一区切り、ほっとする。
本来であれば7月7日に済んでいたものが、延期になったことでまたもやギアを入れ直し、おおよそ40日、再び新たな気持ちで、この酷暑の夏、一日に一度は必ずリアの言葉をおさらいし、66歳のわが体に言葉をしみこませてきた。
どこへも出かけず、(リアが終わるまではどこへも出かける気がしない)経験したことのない暑さの中、静かに自分と向かい合う日々を過ごしてきた。ちょっといかめしいが、修行という言葉が、なんども頭を去来した。
でもそのおかげなのだろう。集中してやれることがあったからこそ、この酷暑を(まだ続くだろうが)乗り切れたのだと思っている。
何事も万事は塞翁が馬である。こんなに本が読めた夏も初めてではないかという気がしている。漸くにして、あまりに遅すぎるかもしれないが、読書の醍醐味がわが体に沁み行ってきたといっても過言ではない。
21年前に買った星野道夫さんのグリズリーの写真集 |
ピンチはチャンス、わざわい転じて福となす、で、この年まで生き延びてきた私である。
老いたリアの狂気を含んだ言葉を、ある一点のテンションで暴発するかのように、やりばのない怒りや苦悩を表現するのは、はなはだもってわが体、能力では難しいが、声を出すことでなにがしかの発見がある、だから続けられる。
自分の人生の持ち時間、未来時間がいかほどあるのかは、皆目わからないが、この66歳の夏は、リアの台詞と格闘した酷暑の夏として記憶に刻まれるに違いない。
基本的に、私ははなはだ怠惰な性格なのであるが、シェイクスピア作品をふたたび声に出して読むことを続けて丸5年、思わぬ晩年時間を過ごせている幸福を時折実感する。
天の下、大地をしっかりと踏みしめて、胎から声を出し生を実感する。詩的言語の塊、人間の発するおぞましき言葉から、崇高な言葉まで、言葉の宇宙をW・シェイクスピアは余すところなく、リア王という劇に閉じ込めている。
66歳で、リアの台詞と格闘できた夏も間もなく終わる 。少し休みたい。
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