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2018-08-12

星野道夫さんの文章、写真集が沁みってくる夏。

今夜からしばらく一人の生活、妻がお盆休みに入り、長女のところに上京したからである。

犬のメルと、猫の花がいるので一人きりという感じはあまりしない。自分でも信じられないくらい、静かな暮らしを心かけている最近の私であるので、これをよりいい機会ととらえ、妻に頼らず一人でも生きられるようにするべく、修行したい。

子育てを終え、林住期から遊行期に移行する人生のこの季節、すべては移り変わりゆくのであるから、夫婦といえども人生の終点を見据え、お互いを理解すべく想像し、相手の負担を減らす生き方を心がけたい、との思いは深まる。
私は運動公園のヒマラヤスギの木陰で声を出す

 話題は変る。この数日、星野道夫さんに関する本を読んでいるが、氏が私と同じ年であることを不覚にも知らなかった。

1996年、8月8日に 不慮の死で亡くなられて早、22年の時が流れている。たまたまに過ぎないが、数十年ぶりに氏の著作や私が持っている氏の写真集を、再び手にしたのが命日であった。

ことさらに符号のようなことは思いもしないが、とはいうものの、あの天才的な生き方、お仕事をされて、あっという間に44歳で他界された氏のなされた、遺された御本の文章が染み入ってくる夏である。本当にすごい人のお仕事は時代を超える。

田舎者、というといささか自虐的な響きが無きにしも非ずだが、私は本当に田舎者である自分をどこかに愛おしんで余りある田舎者である。田舎に生まれて本当に良かったと思う。心から還るべき場所が、帰りたい空間がある。有難い。

今宵は、独り身の気ままさ、あらぬよしなしごとを綴りたくなるのをぐっとこらえながら書いているが、 五十鈴川に還れないほどに老いてしまったら、早い話五十鈴川だよりのタイトルは変えないとまずかなあ、などと考える自分がいるが、その時はその時、今を生きることこそが肝心である。











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