昨日、竹韻庵から帰って昼食後、、疲れていて少し悩んだのだが県立図書館に、セバスチャンサルガの写真集を探しに言ったら、市立図書館にはなかったSAHEL(THE END OF ROAD)という写真集があったので、借りてきた。
英語版の写真集である。1984年から86年にかけてのアフリカ、スーダンで生きる、日本人である私には程遠い環境に生きる人たちの、あまりに過酷というしかない日常、現実を映した写真集である。
このような写真集がなかったら、おそらくは永遠に、私はこの 同時代のはるかかなたの異国の現実を冷静に、じっくりと視ることは叶わなかっただろう。
お盆明けには図書館に返さないといけないが、この間も書いたように、いずれ 出版されているサルガドの写真集は、順次ゆっくりと全部手元に置きたいと思っている。
そのためには、まだまだ元気に動ける有難さ、どんな仕事でもいいから動けるる間はささやかに働いて、お金を有効に使いたい、と思う。一人でも多くの方に写真集を見てもらいたいと思わずにはいられない。
無知蒙昧の上、自分の怠惰な性格は小さいころから自覚していた。そのようなわたしの弱点を見抜いた父親は私を厳しく育てたのだろうと今にして思う。
本当に18歳までの私は、(とくに思春期)時代の波をもろに受け、安易な軟派路線をお気軽に生きてきた自分を世の中に出て初めて痛感した。生きてゆくためには、意に沿わぬ仕事もやらなければ生きてゆけないという現実を。
人間の大地 労働という写真集で、サルガドは世界中の過酷な現場で働く(働かざるを得ない)人々の姿を、映している。
セバスチャン・サルガドのドキュメンタリー映画を見てからまだ10日しかたっていないが、今この文章を書いているそばにある、2冊の写真集は限りなくいい意味で重たく、私の奥深いところに働きかけてくる。
それはなぜなのかを、このお盆休みには2冊の写真集を眺めながら過ごしたいと考える私である。 それほどにこの2冊の写真集は普遍的な問いを私に投げかける。
おそらく今も過酷な労働現場を、日本も含め世界中の人々が、かなり労働スタイルが変わったとはいえ、生きているのだろう、そして紛争地域から人々は難民化しているのだろうと、私は推測する。
たかだかの私ごときの頭では考えたとて、お里が知れるとは思うもののサルガドの写真は、私に大切な何か重要な事柄を語り掛けてくる。
私がこれほどまでにサルガドの写真集に惹かれるのはなぜなのかを、今ここで考える気にはならないが、一つだけいえることは、何はともあれ18歳から世の中に出て労働をしながら、糊口をしのいで生き延びてきたということがあり、否応なく労働を管理される側に、身を置いてきたという現実があるからかもしれない。
今も、時折考える。汗をかきながら労働とは?働くとは?世界のあらゆる不条理、富の集中の異常性(に対するあまりの鈍感さ)。富むものとは真逆の生活を否応なく強いられる多くの無数の弱者。
このような世界戦争経済が続く間に、(核爆弾まで浴びた我が国)奇蹟のこの惑星は痛みに傷んでゆく。まさに、サルガドならずとも絶望したくなるが、そこで絶望せず荒れ果てた故郷の原点に立ち返り大地に樹を植え、十数年かけて、森を復活させる一大プロジェクトをご夫婦で立ち上げる。
すごいというしかない。一心同体のあまりに人間らしい夫婦の姿に心底打たれる。サルガドが少年時代を過ごした 生家の広大な土地は見事な森に生まれ還り滝も生まれ、多くの生き物が棲みジャガーも帰ってきたという。
心から絶望したものであるがゆえに、このような希望あふるるプロジェクトが実現したのだと思う。それと生来の気質。ラテンのおおらかさ。 竹韻庵に私もささやかになにか植えたく思う。世界の5分の1の人間が、一本の木を植え20年育てれば、ものすごい酸素が生まれる。奇跡の酸素。
若き日にシェイクスピアの国に行きたくなったように、サルガドを生んだ見果てぬ広さを持った邦に、行ってみたいという夢が私の中で膨らみはじめている。目的がないと私は動けない。
40年以上かけて漸く私は軟派路線からいくばくか、硬派になれそうな自分を感じている。何とかもう少し踏んばらないとあの世の両親に顔向けできないのだ。
「地球へのラブレター」 岡山でも 見ることが出来そうです。シネマクレールで上映予定。
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