ほとんど小説を読まない私が、5月大阪岡山往復の在来線の中で一気に読んだ火花という小説が芥川賞をとり、200万部以上、異例の売れ行きだという。
読んだ当時はこんなにも騒がれ、賞を取り、売れるなんて予想もしなかったが、個人的にはなはだ面白く読み、ブログにも書いた記憶がある。
なぜ普段読まない小説を私が読んだのかは判然としない。ピース(平和)という芸名のコンビの芸も見たことはないのに、たまたま又吉さんがNHKの朝の番組に出ていたのを見て、その話しぶりとたたずまいが強く私の印象に残ったのだ。紹介されていたその火花という小説を読みたくなった。
ところで、コラムニストの中森明夫氏がM新聞の日本への発言という月一回のコラムで、【又吉直樹と戦時下の文学】という文章を書いている。
この文章が実に読ませる。戦後70年の節目、安全保障法案が衆議院を通過した翌日に又吉さんが芥川を受賞した。
又吉さんが最も尊敬する作家は太宰治で、人間失格は100回以上読んだというくらいの早熟な文学少年だった。太宰治は第一回の芥川賞の候補であり、川端康成ら選考委員に賞を懇願する手紙を書いたそうだが、賞は得られなかった。
太宰が文学者として創作活動を行ったのは、昭和8年の【思いで】から昭和23年の【グッド・バイ】にいたるわずか15年間。この15年間は、太平洋戦争を中心とする激動の時期、もっとも困難な悪しき時代であったという、評論家奥野健男の一文を中森氏が引用している。太宰治は戦時下の作家であったと。
続いて、アメリカの作家カート・ヴォネガットは、作家とは 炭鉱のカナリアである、誰よりも敏感で危険を(ガスを)察知して死んでしまう社会の警報装置だとの言葉も。
火花が掲載された文芸誌は、昭和8年に小林秀雄が中心になって創刊された雑誌で、5年後掲載作品石川淳の【マルスの歌】が発禁になり、罰金を肩代わりにして発行元として引き取ったのが当時の文芸春秋社主・菊池寛であった、とある。そして、この2年後の昭和10年菊池寛は芥川賞と直木賞を創始する。
芥川龍之介が服毒自殺したのは昭和2年、(将来に対するただぼんやりとした不安)のためという遺書を遺しているという。不安は作家個人ののものではなく、その後の日本の経路を思えば芥川もまた炭鉱のカナリアであったと、中森氏は書いている。
今後又吉直樹さんが(氏のルーツは沖縄)どのような作品を書かれるのか実に興味が湧いてくる。玉川上水で心中死した太宰治の読んだこともない戦時下の作品群を私は読みたくなった。
演劇や文学は時代背景とは切り離せない、まさに時代の深層を映す鏡である。知ることからしか現在はは垣間見えない。
0 件のコメント:
コメントを投稿