お盆にはいると同時に、何やら急に涼しくなってきたような気がして少しほっとしています。お盆なのでじっとしていようと思ったのですが、結局は2日ほど大阪までめったに見るチャンスがないものを見に出かけました。
一つは生まれて初めて聞く詩の朗読会と、文学座公演のシェイクスピア作品、トロイラスとクレシダの舞台を見に。
まず詩の朗読会は、戦後70年の節目に、日本、韓国、中国の詩人が母語で連(歌のように)詩を読むという新聞記事を読み、何か気持ちが動いたので、気分転換がてらでかけたのです。
日中韓を代表する4人の詩人、四元康裕・MING DI(中国)・金惠順(キムへジュン)・谷川俊太郎(谷川さんは所用で来られず山田さんという方が代わりに朗読した)が、最初の方の書いた詩から、イメージを大胆に飛翔し新たな詩を限りなく即興に近い形で生み出してゆくという画期的な試み。
詳しくは記しませんが、【海】と【米】と【太陽】をテーマに4人の詩人が連詩を母語で詠まれるのを、生まれて初めて体感しました。大阪は谷町にある大阪文学学校(初めて知りました)という小さなビルの一部屋でその会は行われました。
参加者は関係者以外30人くらいでしたが、九州から来られている人もいました。私みたいな門外漢はおらずいかにも詩が大好きな方たち(言葉を大切にする)の集まりという雰囲気の会でした。
書いた本人がその場で母語で朗読するのを聴けるなんてことはそうはありませんし、何より日中韓がギクシャクしている、まさにこのような時代に、折しも戦後70年の談話を安倍首相が発表するという日に合わせて、あえて大阪(14日)と東京(15日)の片隅でひっそりと行われているということに、詩人の魂を垣間見ました。
一言行ってよかった。ささやかにシェイクスピアの塾を立ち上げたものとして、声を出して朗読するということに、以前にもまして関心が増してきた私です。遊声塾を立ち上げていなかったら出かけなかったかもしれません。
物語とはまた異なる詩人の言葉をもっと読みたくなったし、 遊声塾の面々と時折詩を読んでみたくなりました。いずれにせよ言葉による詩の宇宙は広大無辺、限りなく非日常に我々を解き放ってくれます。まさに詩人は言葉の魔法使いです。このような存在は貴重というしか言葉がない。
さて、翌日再び私は今度は兵庫県立芸術劇場に、トロイラスとクレシダのマチネーを見に出かけました。この芝居はめったに上演されません。文学座で初演されたのは1972年アトリエでのシェイクスピアフェスティバル。
ハムレット・ロミオとジュリエット・そしてトロイラスとクレシダの3本。当時私は二十歳、何という幸運、私はその3本をすべて観ています。ロミオは木村光一さんの演出。残り2本が現在もシェイクスピアシアター を率いる出口典雄さんの演出。3本とも斬新なアイデアあふるる演出でした。
時代の動きがビビッドに反映された現代的でスピーディーな演出は、3作品に共通していて、若かった私は興奮を抑えることができないくらい感動しました。いまでも江守徹さんのハムレット、太地喜和子さんのジュリエット、クレシダの倉野章子さん他、いろんな役者の顔が瞼に浮かびます。
さてもさても、うれしかったのは初演の時トロイラスを演じた小林勝也さんが序詞役と召使いを演じ、あの文学座の試験の時の試験官江守徹さんが、トロイ王・プライアムを演じていたこと。脇をがっちりと固めていました。
あとはもう知らない俳優さんばかり、当たり前あれから43年経つのですから。主役の二人はもちろん、両軍の俳優がマッドマックスばりに自由に気持ちよく感性のおもむくまま演じます。見ていて実に気持ちが良かったです。
文学座ではあれ以来の再演、ほとんど上演されないトロイラスとクレシダという作品。シェイクスピアの作品の中でも多様な評価を持つ多面的解釈が可能な問題作です。
たまたま、今日本のこの時代に再演されている意味が、演出家鵜山仁の意図がこの舞台には濃厚にこめられているのを、私は私なりに実感しました。トロイとギリシャの長い長い戦争の中で繰り返される人間の宿命的ともいえるカルマ、業の世界。
その中で愛を求め、愛に翻弄されるトロイラスとクレシダの不確かな愛の不毛性、そして戦士たちの狂気性は まさに現代の今だからこそ、その作品の豊饒さが際立つとさえいえる内容をもって私には伝わってきた。
ほとんどは文学座の俳優と外部からの俳優の混成で、あの問題作トロイラスとクレシダを演劇化するのに成功していた。俳優の力量がないとシェイクスピアの作品はまず成功しない。なにせあの膨大なセリフを血肉化しないことには、聴いている方の想像力が続かないのだから。それにしてもシェイクスピアの人間を見つめるまなざしの深さには恐れ入る。
とまれ,連詩の朗読会とトロイラスとクレシダの観劇で私のお盆が終わった感がある。この間のブログで8月は死者に想いを馳せる月と書いたが、この朗読会と観劇は私の中では無意識に深く私の中ではつながっている気がしている。
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