まさに梅雨というしかないお天気が続くが、日々是好日。夢が原退職後、しばしあれやこれをやっていたが、畑を断念(というほどにオーバーではないが、家庭菜園でしばししのぎます)したことで、急に降ってわいたように、自分の自由になる時間ができたことは、やはりうれしい。
お金もあるにこしたことはないが 、この年齢になるとまさに時は金なり、というしかないほどに貴重なものだということを実感する。
特にこのひと月はそのことを有難く痛感しながら日々を過ごしている。何よりも時間を気にすることなく、つたなくはあれ五十鈴川だよりが書けるということは、私にとっては有難い時間というしかない。
今のところ月曜日午前のカルチャーでの時間と、水曜日の夜の遊声塾の時間以外は、しばしの間自由な時間が増えるので、この際の時間を利用して普段やれないことをやっておこうという気になっている。
自分の思慮の足りなさ、浅薄さは置くとしても、18歳から何とか気の向くままアンテナの風任せで、生き延びて来られたわが人生の運の強さに今更ながら私は何かに感謝している。
ない才能を顧みず、じたばたとあきらめず、ひょっとしたらほかに道があるのではという、すがるような、小さな灯が自分の中に消えなかったから、いまがあるとさえ、最近は思える。
何度も五十鈴川だよりで書いているが、時折立ち止まり、今を充実して生きるかすかな可能性を探ることこそが、面白い、のだという側に私は立ちたい。じたばたできるうちにじたばたする自由を、子育てを終えた今、オーバーではなく再開したい。
守りに入るのではなく(いやでも応でもやがては体が寿命を知らせるまで)真向きに足を運べる間は、前を向きたいのである。男子に生まれた悲しき性かもしれない。生命を授かる女性とはその点まるで異なる、(話がそれるからやめる)
自分でいうのもなんだが、私は何かと充実して日々を過ごしている。半藤一利さんの【日本の一番長い日】を読みながら(知らないといけない)、午後はカルチャーでの生徒、Uさん(85歳、素晴らしい方)に勧められ参加することにした、日野原重明先生の新老人の会に行き、夜は遊声塾である。
動ける範囲で動きながら、見,聴き、出会い、語り、読み、声を出し、体を動かして思索する。この循環が私にはことのほか貴重だ。そのために必要なお金と食べ物が最低あれば、もう私には十分だとさえ思える。
ということで、しばらく帰れなかった宮崎に明日からお墓参りに還ります。 時間があるので旅がらす、ゆっくりと安全運転の車での旅、姉や兄に会えるのが、心からうれしい年齢になりました。
お気をつけていってらっしゃいませ
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