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2015-07-27

おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな(芭蕉)

汽車が動くまで時間があるので、まだ暗き早朝何やらつづりたくなりました。遠野に行くのは2回目、歳を忘れ何やらやはりうれしいのか、いつにもまして早く目覚め、昨夜の残り湯を浴びてさっぱりいい気分の私です。

何よりもまだ涼しいのがこたえられません。30度を超えたら、やはり文章を書くなんてことはなかなかに難しく、そういう気分になりません。私は根っからの自然児的感覚が抜けきらないので、冷房が長時間続く部屋にはいられませんし、あの冷房の音も苦手です。

いま網戸を通して涼風が入ってきますが、なんとも気持ちがいい。夏の朝の数時間はまさに私にとってささやか思考には、最高の時間帯なのです。

猫の花がそばにいてウロチョロしています。こういう何気ないひと時が、いわば平和をかみしめる、ささやかいっときタイムというわけです。

落ち着いた気分の時にだけ、両親の遺影にお線香を手向けます。もうすぐ、8月6日がやってきます。

歳とともに、広島の被爆に対しても、あの戦争の実態についても、学ぶことが増えてきました。うだるような暑さの中に落とされた人類初の核爆弾を受けた国の一人の戦後派世代の一人として、学校で教わらなかったことを、自分で学ぶ。

自省自戒を込めて、可能な限り弱者の視点で 物事をおもんぱかる想像力が人間にはもっとも必要だと思えます。

高校生の頃知った言葉で、【人は人に生まれるのではなく人になるのだ】という言葉。それほどにヒトは間違いを犯し、精神を病みやすく、壊れやすい生物ということかもしれません。

話は変わり、私が大好きなシェイクスピア作品に【間違いの喜劇】という、一番最初に書かれたとも言われている作品があるのですが、ことほど左様にヒトは限りなく間違いを犯しながらも、生き延びながら、進化もしくは退化しつつあるのかもしれない、と。

旅に出かける前の朝ブログにしては、何やら重い話になってきましたので、やめますが、中島義道さんという哲学者の書かれた、【哲学者というならず者がいる】という本も読書旅に持参することにしました。

簡単に読める本から、ちょっと手ごわい本まで6冊の本が旅のお供です。読み切れなくてもちっとも構わないのです。数冊交互に時間帯によって変えて読んでゆくのが私の読書スタイルです。

読書とは言葉との出会い、優れた思考の持ち主の言葉は私の軟な精神を磨いて鍛えてくれるような気がします。だからなのだとおもいます私が本にしがみつくのは。

思わぬ言葉に出会ったときは、思わず書き抜きたくなります。先日も井上ひさしさんに関する本【言葉の魔術師井上ひさし】を読んでいたら、(困難は分割する) なんてことを昔の人がすでに述べていまして、すぐ頭に残りました。

腑に落ちるいい言葉は、私の心と体に深く染み入って、定着するのです。だから私は繰り返しシェイクスピア作品を読むのだと思います。

果たして、63歳夏休みの旅は、本、人、もの、と、どのような出会いが あるのかないのか。

おもしろうてやがてかなしきこのよかな(盗作です)。行ってきます。


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