一昨日、台風で赤穂線が動かない中、何とか岡山まで娘に送ってもらい新幹線は動いていたので京都まで土取利行さんの主催する、郡上八幡音楽祭のライブの初日を聴きに出かけることができた。
京都、郡上八万、東京の3か所でしか行われないので、何とかして京都まで出かけ、嵐の中、この稀有なライブ体験ができたことを、五十鈴川だよりに、書き留めておきたい。
土取利行(ドラム、アジア、アフリカほかの民族打楽器、多種類の声)、エヴァン・パーカー(サックス、クラリネット)、ウイリアムパーカー、(ベース、アフリカの弦楽器)3人による年齢を超越した、魂のセッションには、度胆を抜かれてしまった。まさに、まさにスーパーなトリオというしかない夢の競演、堪能できたこと、運命に感謝。
私はフリージャズの音楽世界もまったくといっていいほど 知らない、が土取さんが共演を望んだ奏者たちとのライブには何としても足を運んでおかないと、という気持ちを抑えることができず、アルティという会場まで、嵐の雨の中、ずぶぬれ(靴は水浸し)になりながら、地下鉄今出川駅から歩いて会場にたどり着き、地上での出来事とは思えないライブを体験することができた。
最近はライブをを聴きに行くことなどほとんどないわが暮らしだが、土取さんの現在の音の波動、ドラミングを浴び、しかと眼底に焼き付けたかった。行くことができたこと、オーバーではなく神に感謝した。崇高な後光が差す、天上界のトリオのような演奏、スーパーなカッコよさ、しびれた。
そう、まさに一点の曇りもない、純粋というしかない音の世界の旅にこのトリオは私を連れて行ってくれた。このようなライブはまさに一期一会のライブというしかない。繰り返す、この世の嵐のライブに出会えたこと、 何かのやはり私にとってはお導き、というしかない。
何かうまくは言えないが、現代のあらゆる絶望的閉塞感、体の中の澱のようなものがスーッと、洗い流されてゆくのが実感できた。本物の即興演奏家トリオの何というすごさ、枯れない泉のような予定調和ではない、瞬時に生成される音の若々しさ、それを生きていればこそ味わえる醍醐味。
ささやかに、 自分の中に感応するばねが生きていることもしっかりと確認できた。あらためて、魂に働きかけてくる音と、そうではない音との違いを、この世のライブは私に如実に教え、示してくれた。
現時点での肉体年齢を、プレイしている最中微塵も感じさせないその強靭というしかない、高貴な精神性には、返す返すも深く私は脱帽する。土取さんと若き日に出会い、あれから37年経っても、今もこうして新しく出会える事の幸福。時間を超越したような不思議な感覚に私は襲われた。
土取利行さんは、今も音の神秘を伝えてくれる伝道者だ。この世のライブ世界は音の神秘で満ちていた。そしてそれは、お金では買えない類の音というしかなかった。
帰りもまだ京都はすごい雨、連休前の新幹線はすごく混んでいた。止まっていた赤穂線が動いていて、最終の電車は西大寺どまり、運よく私はそれに何とか間に合った。深夜、駅から小降りの雨の中、家に向かって歩く私の心は晴れ晴れとしていた。
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