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2014-09-29

ドレスデンへの旅・2

ドレスデン2日目、9月14日(日曜)、見ず知らずの国で目覚め、昨夜は見えなかった窓からの景色にここがドレスデンであることを確認、車道の小川の向こうの林が見える。外は雨が降っている。

朝食は、8時半ころ、怜君の兄のトーマスさん夫妻が、ホテルまで迎えに来てくれ、怜君の母のシルビアさんとおばあさんが住む家で、おばあさんのヘルガさんが準備してくださった。

ヘルガさんは、西大寺の母を思い出させた。家の前庭は花々で満たされ、裏庭は家庭菜園、質実でおだやかな暮らしぶりがよく伝わってきた。80歳を過ぎておられたが、実にユーモアがあり、激動の時代を生き抜いてきた、芯が強く、お国は違うが苦労人といった赴き。怜君がこよなく愛しているのがわかる。

ヘルガさんの朝食は、きわめてドイツらしい伝統的なもの、多種類のおいしいパン、(怜君が向かう途中の村のパン屋さんでたくさん買ってきた)ハムにチーズに、生肉、コーヒー紅茶、ジュース、果物、とてもではないが食べきれないほどの、ボリュームでテーブルが満たされていた。

孫が連れてきた遠来の新しく家族になる、初めて会う我々を、心をこめて迎えてくださっていることが伝わってきた。異邦人を温かくもてなす気遣いは、怜君にしっかりと受け継がれていることが私にはよくわかった

怜君のお母さんとも初めてご挨拶、共に朝食を頂いた。怜君の母が住む実家と、我々のホテルは車で10分くらいのところに在りそんなに遠くはない。

ところで、怜君は5人兄弟の真ん中、朝食には母と共に暮らしている一番下の妹のティナさん、近所に住む長男のトーマスさん夫婦と一歳半の息子さんも参加。総勢11人での、にぎやかこの上ない朝食となった。私も5人姉兄弟、小さいころの食卓を思い出した。

ゆっくりと和やかな朝食タイムを終え、リビングに移動、妻が用意した日本からのささやかなプレゼントをそれぞれに手渡して、その場で開けてもらった。封を開くたびにみなさんの表情がほころぶのがよくわかって、我が妻の心づくしが、伝わったのがわかり嬉しかった。

ヘルガさんが、シャンパンを開けてくださりみんなで乾杯した。ビールとワインとシャンパンの国なので、それぞれの飲み物に似合うグラスが棚にはたくさん並んでいる。

しばし再び款談の後、お兄さん家族は帰られ、我々は小雨の中、ヘルガさんの温室菜園場を見学、妻は庭と菜園に関心があるので、好奇心が抑えられないようだった。怜君の植物好きもきっと、ヘルガさんの影響にちがいない。

その後雨が上がったので、妹のティナさんも一緒に、近所を約一時間以上散策、怜君が道案内役、この6人での散歩は実に楽しかった。初めてのドレスデン郊外の森、所々に大きな木があって、樹が高い。

雨でぬれたその大きな木に、大きなカタツムリが這っていたりする。歩いていると二頭馬が放牧されていて草をとってみんなで食べさせたりした。しばし歩いていると、今度は二頭の豚がこれまた広い敷地に放たれていて、柵のそばにリンゴの木があったので、その実を豚さんにあげることに皆で興じた。

小学生のころ、近所で豚を飼っていた農家があり、その豚が実においしそうに餌を食べるのを飽かず眺めた記憶がよみがえってきた。怜君がリンゴの木を揺さぶると、実がバラバラと落ちてくると同時に、雨のしずくも落ちてきて、ワーワーキャーキャーしばし我々は子供に還った。

舗装されていない小路の散策は、今書いていてもくっきりと印象が刻まれている。散策を終えると、シルビアさんお手製の昼食タイム、これまた伝統的なソースをかけたステーキ、付け合わせはポテトと赤キャベツ、飲み物はもちろんビールと赤ワイン。

やはり肉には赤ワイン、グラスが大きくて贅沢なランチ。シルビアさんが住む3階のリビングの大きなテーブルでゆっくりと頂いた。シルビアさんは学校の先生をされているとのこと、猫を8匹くらい飼っていて、猫好きの妻と娘は盛んに猫たちとじゃれていたが、同じ猫でもやはり洋風の猫という感じが私にはした。

午後3時、お父さんのピーターが車でお迎えに来て、今度は現在お父さんが住むマンションに移動。伴侶のアンケさんと、リィヒャルト君がお出迎え。ここでもプレゼントを手渡したのち、ティータイム。ごく一般的な、ドイツ人の住まいを見せていただいたが、とにもかくにもきちんとしているというのが、私の印象。

もちろん住んでいる方の個性が、とくに家の内部には出ると思うが、アンケさんの趣味のいいセンスが随所に感じられた。間接照明でキャンドルがテーブルの上には欠かせない。息子さんの部屋、寝室まで見せていただいたが、やはり畳民族とは、風土環境の違い、そもそもの文化的な土壌が異なることをあらためて認識した。

私の年齢もあるのだろうが、いろんな細部に若いころとは違って眼がいってしまうのである。夕食は雨上がりのガーデンで、バーベキュー。ペーターさんとアンケさんのおもてなしが沁みた。バーベキューに下の弟のマーカスさんとその恋人も参加した。ビールとワイン、ソーセージサラダ他。

おいしいフードを朝昼夜と食べ続けた事と、時差の疲れが押し寄せ、食後焚火のそばで気がつくと睡魔に襲われ、こっくりこっくり。

9時過ぎ、86番のバスと徒歩でホテルへ。さすがに疲れがどっと出て、バタンキュー。ドレスデン二日目は、新しい家族との交流に一日が過ぎたが、徐々に私の中に怜君の家族構成が、しっかりと私の中で、整理されてきた。






2014-09-28

ドレスデンへの旅・1

旧東ドイツドレスデンを、よもやまさか旅することが我が人生に訪れようとは思いもしなかった。日本は島国だから、陸続き民族の国々の感覚が、途方もなく私にはピンとこない。

さて、娘が生涯の伴侶に選んだ男性が、ドレスデンで育った方であったがため、その結婚式に参加すべく、私と妻と次女の3人で、9月13日(土曜)午前9時30分の大韓航空でチェコスロバキアのプラハに向かった。ソウルで(ここで東京からの娘と怜君と合流)乗り換え、プラハに着いたのが、現地時間の夕方5時。時差は7時間。

空港には、怜君(日本国籍も取得、彼は日高怜となりました)のお父さん家族(ペーターさんと伴侶のアンケさん息子さんのリヒャルト君15歳)が、迎えに来てくれていた。

荷物を受け取り、なんとも静かな異国の空港で、ペーターさん家族と初対面のご挨拶、何せ初めて会ったばかり、ボーっとしているし、何が何だかよくわからないうちに,ぎこちなく挨拶を終え、娘たちはアンケさんの車に、私と妻と怜君はペーターさんの車に乗って、ともあれプラハからドレスデンに向かって、車は動き出した。

プラハからドレスデンまで、ペーターさんの車で夕やみ迫る中、アップダウンの丘陵地帯の日本とはまるで異なる風景の中をはしった。ドイツのドレスデンにゆくのに、チェコのプラハ経由でゆくなんてことも考えもしなかった。ただただ陸地は続いている真実。

ドレスデンへ向かう車窓からの眺めは、当たり前だが異国に来たのだということが、時差の体にもゆっくりとはっきり沁み渡ってきた。徐々にうす暗くなり、時折小雨も舞う中、それでも十分に外がまだ見える。窓からの初めてみる景色に私は眼を凝らし続けた。

プラハからドレスデンへと向かう中で、一番印象的だったのはリンゴの木の鈴なりの畑が、途方もなく続いていたことだった。路傍にリンゴの実が落ちていた。日本の日常から、しばし解き放たれ、いきなりリンゴの大地の邦にさまよいこんだかのような。人の姿が見えないので、余計に見知らぬ国にやってきたのだという感覚に私は包まれた。

ペーターさんの計らいで、高速はつとめて走らず、チェコの曲がりくねった田舎道を走ってくださったのが、とてもうれしかった。田舎育ちの私には、田舎こそが私の原点、どんな国を訪ねても、私は田舎にゆく。かっては馬車が歩いたであろう細く曲がりくねった道。ああ、田舎道に日が暮れる。

外がすっかり暗くなり、すこしねむくなりかけた時ドレスデンに着いた。ドレスデンは小雨が降っていた。ホテルの前にかるく夜食、怜君がイタリアレストランに案内してくれ、お父さん家族と落ち着いて、面と向かい合った。

初めて飲む、ドイツビールとワインで、出逢いの乾杯。ピザとパスタをつまみながら、しばし歓談。通訳は怜君がいるので、すべてはスムースに進む。お父さんはビールが大好き、口数は少ないが、一気に私は好感をもった。もちろんアンケさんにもご子息にも。

とにもかくにも、無事にドレスデンに着き、時差と疲れで早々にお開き。ドレスデン郊外の、料理もできるフラットタイプのホテルを怜君がとってくれていた。

娘たちと、二部屋。我々3人10時近くチェックイン。我々の部屋は3階の屋根裏部屋、リビングもあって広くて快適、落ち着ける。すぐそばを小川が流れ、初めて体感する、郊外のの森の近くの静かな宿。

荷をほどき、妻と娘と私、それぞれしばし滞在する居場所に落ち着きほっとする。いよいよ明日からどのような日々が、なんて思う余裕すらなく、ともあれ着変えて早々に身体を横たえ、ドレスデンに着いた安ど感にひたった。





2014-09-27

秋の空のもと、ひたすら身体を動かし土に向かう。

ほとんど仕事のことは、このところブログには書いていない。まいにちではないにもせよ、よたよたとではあるけれど、5年近くブログを書き続けてみて思うことはなかなかにつらいことは書けないということである。

まして私のブログは、どちらかと言えば自己激励型というか、当たり障りのない、もっと書けば日々の暮らしの中での、思いつき記録型、やんわりほのぼの感が漂うような気分のときでないと、書けない。

お休みの日は、時折かなりまじめなことも、自分が(にとって)どうしても書いていおきたいことなんかも書いている。農の仕事は身体のコンディションをキープしないといけないので、とにもかくにも書くのは後回し、肉体を休ませることをこの一年最優先してきた。

以前も書いた気がするが、農の仕事はというか、A専務の目指す農は、この時代無農薬で利潤を出すというのは、わずか一年やってみての難しさがかなりの程度身にしみつつある。

こんなことを書くと、何やら悲観的だが、ブログに書くくらいだから、私自身の中ではそんなことはないのである。少なくともA専務はどんな形ではあれ、農を継続されようとしているので、その志とともに、私も何らかの形で専務とともに、農に関わりながらの生活をやりたくなってきている。

空の下での農の仕事、肉体的にはかなりのしんどさが伴うことは、我が身が一番自覚している。だが同じような心持の仲間とジョークを飛ばしあい、和気あいあい無心に働けるということの、言葉にならない充実感、これもまた我が身が一番自覚している。

要は、気持ちよく身体と精神が風通し動くということが、この歳になると一番肝要なことなのである。そのうえで、生活が成り立てば、方丈記的感覚の世界にさまよいこんでも、まったくいいのではないかという気が最近はしてきているくらいなのである。

なんとか開墾から関わってきた畑のネギが、10月の半ばから出荷できそうなところまでこぎつけてきた。そして今また、開墾から始めた新しい畑にチシャトウという野菜を植え始めているのだが、順調に育てば、年内には出荷ができる。

この一年近くの試行錯誤は、苦楽というしかないほどに、様々なことを今も経験しつつ歩んでいるのだが、一ことそれは私にとっては未知の世界で、そのことがとても、私自身をこの歳になっても活性化させているように思えるのである。

だから、楽しいのである。だから、ブログが書けるのである。ふとくてき多数の方の眼に触れる一文は、我が身の楽しさ的気分がほんわか立ちあがってくるような、ものが書けたらなあと、年齢を忘れ、枯れつつも修行を今しばらく続けたいのだ。

いま青空のもと、秋の風に揺れる葱畑は事のほかに美しい。それを眺めながら今を働けることの、嬉しさ楽しさは格別というほかはない。明日は明日の風が吹く。

さあ、今日も一日畑で昼の時間身体を動かそう、N氏が待っている。

2014-09-25

チシャトウを植え、畑で時差ぼけが解消されました。

岡さんからゆく前と、帰ってきてから、いってらっしゃいと、お帰りなさいの言葉を頂いている。一方、親友のK氏からはケータイに、長めのお祝いの言葉を同じように、ゆく前と帰ってきてから頂いた。

この場を借りて、深く感謝いたします。私は自分が考えているよりも、ずっとずっと不器用な性格なので、すぐに返事を書いたり、すぐに返信をうったりすることがどういうわけなのか、なかなかにできない。

これは今の時代では、なかなかに通用しないことなのではないかとは思うのだが、うーむ、いかんせんこんな自分を、いまだ時折持て余してしまう。だから、申し訳ないとおもいつつ、ブログにてご容赦を。

短いとか長いとかは関係なく、頂いた言葉を繰り返し読んで、じっくりと受け止める時間のようなものに耽っているうちに、機を逸してしまうのである。(K氏へ、お食事会のお誘いは、むすめたち夫婦にも伝えておきますので、上京の節はなんとか実現させましょう)

話変わり、ようやく昨日あたりから時差も消え、昨夜の遊声塾のレッスンあたりから普段の自分のリズムを何とか取り戻しつつあります。昨日畑で、N氏と二人でひたすら時差ボケ解消のため、チシャトウという野菜をコンビで植え続けたのですが、ショック療法のような感じで消えてしまいました。

ところで、今回の旅は単なる観光旅行ではなかったせいもあってのことかもしれないのですが、未だ旅の余韻が続いていて、ドレスデンへの旅、という文章を、何回か書いて残しておこうという気持ちになっているので、休日にでも落ち着いて、つたなき一文を綴るつもりです。岡さん、K氏にお伝えするつもりで。

またもや話は変わりますが、ブログではほとんど触れてはおりませんが、昨日からアメリカがまたもや、シリアを爆撃開始。イラク、ウクライナ、海の向こうでは、見知らぬ世界の果たてでは、日々無辜の人々の上に過酷な現実が起きていることを、否応なく知らされます。

日々の安穏と、静かに暮らせることの何という在り難さを、感じずにはいられない私です。庶民の大多数を脅かす、戦争というものの愚はいかにして引き起こされるのか、おびただしい死者の上に築かれる平和とは、いったい何なのかと、愚者の一人として考えずには居られません。

ドレスデンへの旅で、城山三郎さんの【日本人への遺言】という本を読みました。ずしりと、胸にきました。読み書き、考えないといかんと思います。ドレスデンもものすごい空爆から、見違えるような古都に蘇がえっていました。

人生の門出を、おだやかに祝福するなんてことは、平和なればこそでしかありません。瓦礫の廃墟から、見事に立ち直った街で、悠然と流れるエルベ川のほとりでの我が娘たちの結婚式は、あらためて、当たり前の何げない平和というしかない眼前の厳粛な儀式の前で、私は時折粛然とした思いにとらわれ、胸の中で今は亡き両親に手を合わせました。







2014-09-24

未だ時差を感じつつ、旅の重さの余韻にひたる。

今回の結婚式の旅では、また新たな何かが、自分の中に起きてくるのではないかという予感が、ゆく前からしていたのだが、そのことはうすらぼんやりと、いい意味での旅の重さのようなことを、未だ時差のなか感じている。

とはいえ、昨日からにわかに現実の中に、いい意味で引き戻され、畑では働いている。畑で働きながらも、時折今回の旅景色や、お世話になった新しい家族の顔が、浮かんでくる。

人は何かしらに出会うことによって、自分の中に新しき自分と出逢う、いわばそのような存在なのかもしれないと、素直に腑に落ちる。

これからの自分の人生の時間の中で、本当に自分が大切にしてゆきたい事柄の、なんたるかが、何を基本的に見つめながら生きてゆけばいいのかが、いわば当たり前のことが、にわかに輪郭を持って、はっきりしてきたかのような気がしてきている。

おりしも、スコットランドやカタルーニャの民族問題が紙面の一部を占めているが、広い意味でのヨーロッパに親戚ができたために、せめて最低ラインのドイツの歴史を学ばなければという気持ちになった。

そういう気持ちになったのは、やはり新しい家族の顔が私の中にしっかりと刻まれたからだと感じている。にわかなブログ時間では整理しきれない感情なのだが、何やら書くことで自然にわき起こってくる感情を見つめ続けてゆきたいと、今はただただ思う。

それにしても、わずか一週間ではあったが、なんと実り多き旅であったかと、書きながら思う。今しばらくは、静かに旅の余韻に浸りつつ畑に向かいたい、今朝の私である。

2014-09-22

レイ君と娘の結婚式から、昨日無事に帰りました。

昨日の夕方ドレスデンから帰ってきました。時差といい意味での疲れがいまだ身体に充満しています、がともかく無事に帰ってきました。

妻も私も、今はただ安堵感に包まれています。ことさらに何の先入観、予備知識、一切持たず直前まで働きドレスデンに向かい、いきなりレイ君のお父さん夫妻のお迎えで(チェコのプラハの空港まで車で約2時間)この結婚式の旅は始まりました。

着いたのが、13日の現地時間の夕方の5時、式は18日、それまで4日間、向こうの家族と交流の時間がもてたのが、あらゆる意味で助かりました。レイ君のアレンジですべてが進行したのですがよくスケジュールが練られていることに感心しました。

この間体験した出来事を、つぶさにお伝えすること、今朝はちょっと無理ですが、一ことすべてにおいて、普段とは異なる時間が流れました。あらためて人は時折文化的土壌がまったく異なる環境に身を置く旅をすることが肝要だと再認識しました。

ドレスデン、エルベ川とともにある歴史的な古都に生まれた、レイ君の故郷で行われた結婚式は、まったく私の知らない、想像力の及ばない、期待を超えた素晴らしいものでした。

式は、昔からの村の地区の行事として親族友人の参加のもとにごぜん10時半から厳粛に行われ、近くのカフェで軽い昼食ののち、場所をエルベ川のすぐほとりに立つレストランで午後2時半から、60名以上の方たちが参加しての、楽しいというしかない結婚披露パーティが新也まで続きました。

親ばか丸出しですが、働きながら忙しいさなかに、よくこれほどの準備をしたものだと感心しました。おそらくはレイ君の人柄がすべてだと思いますが、集まった方々すべてが二人の前途を心から祝福する雰囲気で満ち満ちていました。

長時間の進行の中、参加者全員の人柄がわかるゲームなども織り込みながらの飽の来ない展開で、最後のダンスパーティまで私はしっかりと二人の結婚式を楽しみ見届けました。

わずかな滞在時間の中で、レイ君の家族ともすっかり打ち解けました。お互いに新しい家族ができたことを共通認識しました。レイ君のお父さんが必ず日本にゆくと言ってくれました。

レイ君のおばあさんが、私の母と同じようにとても元気で人柄が義理の母と似ていて、やはりこの方あっての家族なのだということが分かりましたし、そのおばあさんをレイ君がことのほか大切にしているのも伝わってきました。

ともあれ、今朝はこれくらいにしますが、エルベ川と五十鈴川、私にとってとても大切な川ができました。レイ君と娘がこれからどのような家族を築いてゆくのかを可能な限り見届けながら、新しく異国にできた、向こうの家族とも関係を深めてゆきたいとの、今は思いです。



2014-09-12

明日の朝、娘の結婚式のため、チェコ経由ドレスデンに向かいます。

いきなり朝から、個人的なことで恐縮次第ながら、個人的我がままブログですので、ご容赦を。

明日の朝の飛行機が早いので、今夜は大阪に泊まるがために、妻も私も今日まで仕事をしてから大阪に向かいます。

21日には戻ってきますが、しばらくは不在となるため、私のブログを読んでくださる方には、ごめんなさい。ブログはしばしお休みしますので、ご容赦ください。

ところで、いつも実名でコメントをくださる岡さんから温かいコメントが、入っていました。ありがとうとこの場を借りて、お伝えします。ドレスデンの第一印象はじめ、何か感じたことをノートで記してこようと思っています。

何かと慌ただしく時が流れると思います、今回は娘の結婚式ですので。が今後は青春時代のように、きりつめた生活をしながら、再び元気な間は旅を再開しようかと思っている私です。本を持っての、お、爺さん旅。

これが私には、似あっています。ギリギリで、無駄を省いた暮らしの中から、何かを見つけてゆく運動を可能な限り、やってみようかというような心持が、畑で働くことで生まれてきたような、最近のきわめて、禁欲的牧歌的な日々の暮らしなのです。

そんな暮らしの中から、ほっとするような文章を紡ぎ出せたらなあ、なんてことを、いまだ夢想する初老の私です。

もう間もなく、サンナンで働き始めて一年がやってきます。書くのが少々気恥ずかしいのですが、こんなにも無心で働いたのは、(働いているのは)初めてのような気がします。きっと世の中に出て初めて、何かに追われることなく、悪いストレスがなく、自分が今最もやりたいことができているからなのだと、思います。

それと面白い人に出会えたこと、それに尽きます。面白い人とともに働けるというのは、男の私のこれまでの人生では、初めてのような気がします。A専務は農を青春している、具現化しようとして、まさに苦楽しています。

おそらく思うのです、苦をいかに面白く転(展開)じられるかにこそ、人生の妙味があるのだということを感じます。しかしことが、実感して感じられるのは、子育てなどの第一次的社会的な責任を終えたからこそなのではないかと。

いまだ、子育て真っ最中の方々は、とてもそんな余裕はないでしょう、私もそうでしたから。しかし人生は続いていきます、まして超高齢化社会を。

そんなこんな、初めて62歳を体感しながら、いまだの右往左往を楽しんでいる私の現在です。ともあれ、畑に向かう時間が迫ってきました。今朝はこれにて、しばらく留守します。

2014-09-10

畑で二日続けてスーパームーンを見る幸せを思う。

疲れているはずなのに、眼が覚めたので思い切って起きた。昨夜から煌々と輝く月をまず眺め、珍しく自分でお味噌汁を作り、コーヒーを入れパソコンに向かっている。

ほとんどの世の中の人が眠っている時間帯に起きているというのは、なにやら妙な感じもしないではないが、ともあれぐっすりとやすんだ身体は、意識がニュ―トラルで、ことのほか邪心がない。

すっかり朝にしか、物事や文章が思考できない身体になってしまったような我が身である。さて又また月の話で恐縮だが、昨日も運動公園で月の出を待った。雲が在ったがためにすぐには顔を出さなかったが、7時10分前くらいに、雲間からスーパームーンが姿を現した。

ところで話変わり、昨日の朝畑から西の空に消えゆく赤い満月を見ることができた、朝日が昇り、代わりに消えてゆく月を眺める事ができたのは、幸運だった。昇る太陽と、消えゆく月に自分自身がその中間にいる、ある、瞬間の幸福感を緩やかに感じた。

単細胞の私だ、今日も一日動き働けるという悦びが身体の奥底から、ほんのり静かにいつもより強く湧きあがってきたのである。こんな希少な感覚に身体が研ぎ澄まされるのも、畑で働けるからだと、何かに感謝する。

生き物が、生き延びてゆくために、絶対要素、酸素と水、をことごとく脅かす、現代消費所有物質文明に対して、あらためて自分自身は今後どのように生きてゆけばいいのかを、ぼんやり月を眺めながら、おじさんは静かに物思い考える。

ときおり、詮無い思い、徒労感にとらわれることも、正直なくはないのだが、そのような思いを打ち消す、何やら無数のおびただしい今はなきご先祖の声なき声が、かすかに私のうちに歳とともに響くようになってきたのである。

ともあれ、今朝も昨日に続いて西に消えゆくスーパームーンを眺められるかと思うと、元気が湧いてくる。まさにお天気次第ではあるのだが、こんなにも安心して、月を眺められたのは久しぶりのことだ。

時折、浮世の渦のなかから、身も心も解き放ち、大いなるものに身をゆだねながら、物思う感性を取り戻さないと、私の場合はどうにも駄目である。

裸足で土に触れ、多様な植物の生命力にじかに触れないと、私自身の命が先枯れてゆくかのような不安な心持になる。だから私は今しばらく畑から世界を眺めたいと、つよくおもう。








2014-09-09

中秋の名月の朝に、思う。

すっかり朝夕は涼しくなり、虫のすだきが今もかまびすしい。昨夜は下の娘も不在で、夫婦二人での時間を夕方から夜にかけて過ごした。

妻は犬のメルとの散歩をほとんど欠かさない、時折私がゆく運動公園に一緒にゆくことが最近増えてきた。

メルは、怖がりで人見知り、独りでの散歩は極端に嫌がる繊細な犬である。私には妻のようにあれほどまでに、犬を思いやれる繊細な感覚が欠落していて、妻のメルに対するこまやかな愛情を見ていると、時折不思議な心持におちいる。

だが、やはり長く共に一つ屋根で生活を共にしていると、自分のなかにもゆるやかに愛情のような感覚が育ってきているのが、わかる。人間はかすかに微妙に変化し続ける。

話は変わるが、西の空に今も煌々と月が輝いている。昨日も月の出を、運動公園で眺めるためもあって、いつもより遅く出かけたのだが、ささやかに身体を動かしながら、陽が落ちてゆくと一段と輝きを増す月を、ただただ眺めた。

いよいよ今夜は最高の月を拝むことになる。さいわい、お天気がいいので今から楽しみである。二階のベランダかもしくは近くの小高い所から、月の出を眺めに行こうかと考えている。

月の満ち欠けに、あやしく私の心はざわめく。現代に生きている私であるが、時折どうしようもなく今という時代との、祖語のようなものを感じる。

そのいたしかたない何かをおだやかにしてくれるものが、月の輝きのなかに私はかんじる。大いなる宇宙的感覚の中に、身を任せているときのなんとも言えない安ど感は、言葉にはできないものである。

その原初的大いなる感覚は、これから向かう夜明け前の畑でもいかんともしがたく感じる。特に今の季節の、夜明け前は謙虚このうえもない感覚に身体が研ぎ澄まされる。

お陽様が昇ってくる直前の、神々しいというしかない、ほんのわずかな時間の推移の、刻一刻と移り変わる様に身を置いていると、しばし古代人的な感覚が、にわか現代人の私の中にも蘇る気がする。

N氏と二人、その感覚を共有しながら始動するのだが、今を生きる悦びというしかない。

2014-09-08

やがて日高の姓を名乗ってくれるレイ君が帰ってきました。

虫の音を聴きながらのらの朝まだ早きブログタイム、とくに今朝は肌寒いくらいである。さっそくコーヒーを入れ、ああ秋だなあという、穏やかな気分にひたれる我が身の幸せを静かに感謝する。

明日は中秋の名月だが、昨夜も煌々とした月を二階の窓から何度も眺めた。何度も書いているが私は月がことのほか好きで、まんまるい月を眺めていると、我が身が宇宙空間に漂っているような感覚に時として襲われ、しばし人間界から、解き放たれる。

きっと、太平洋の真ん中や、数千メートルの山の頂や、どこか人間の作ったものが、見当たらないところで、中秋の名月(特に出始め)を眺めたら、きっと霊感が一段とさえわたり、私は年齢を忘れ、子供に回帰してしまうような気が、未だする。

こんなことは、この歳になると人前ではとても話せないが、ブログなら何とはなしに書けるから
ありがたい。絶えず流れ、揺れる自分の心の在り様確認の五十鈴川だよりなのだから。

ところで、今日岡山で仕事があり、もうすぐ正式に我が家族の一員になる、義理の息子のレイ君が昨日の夕方からから帰省していて、昨夜は久しぶり夕飯を共にした。

レイ君が夕食後、娘とレイ君が2010年に出会うまでの、これまでのお互いの誕生からの写真を、やく10分間に見事に編集した(時折動画もある)ものを、見せてくれた。新幹線の中で作ったとのことで、結婚式で参加してくださった方々に当日披露するそうだ。

両家の親族、友人諸氏含め60人くらいが参加し、日本からも20人以上の、レイ君と娘の日本人の友達も(二人が出会ってからできた、共通の友人、弓道の先生含め)わざわざドレスデンまで駆けつけるらしい。

まったく、どのような式になるのか、かいもく見当もつかないが、きっと温かい式になるのは間違いない。友達が多いのは、二人の人柄がそうさせるのだろう、すでに親ばかの私としては、参加してくださる方々には感謝の言葉しかない。

なにやら、我が家にとっての一大事の儀式が、10日後となった。人生まさに一寸先のことはわからない。人は出逢いで大きく人生の事ごとが決まる。特に人生の伴侶は何かのお導きのようなことがないとなかなかに、出逢えるものではない。そのように私には思える。

親としてはただひたすら、つましく人間としての法を踏まえ、穏やかな家庭を二人して築いてほしいくらいの、平凡の極みのようなことしか思い浮かばない。

レイ君は、岡山の徳山道場で、弓道を本格的に学び始め、東京でも続けながら、時折徳山道場に還ってくる。娘と出会ってから日本語も急速に進歩、日本語でメールも送ってくる。最近日本語の2級試験にも合格し、その地道で一途な生き方は、私を感動させる。

バイリンガルで、バイカルチャーな青年を娘が伴侶として選んだ未来は、未知との遭遇のおそらくは連続になるだろう、二人で生きる未知との出逢いを、苦楽を共に楽しんでほしい。我々もそれを眺めながら、老いつつ愉しく見守りたい。

2014-09-07

ひょうひょうと風のように、A専務はみたらし団子とともに畑に現れる。

8月3日から9月4日まで、ロシア人の19歳の娘さんカーチャが昨年に続いて二年連続ホームステイしていたた。私が普段使っている一階の部屋をカーチャが使っていたために、私はこの間2階の書斎で寝起きしていた。

2階はインターネットがの電波が弱く、ブログをかくことがほとんどできなかったが、書斎は西日が当たるので、もし使えたとしても、夏はまずほとんど書く気がおきなっかったと思う。

ようやくにして、昨日から又普段通りになり、すっかりカーチャの気配がなくなり、がらんとした元通りになった部屋で、落ち着いてブログを書いている。

なにやら暑い夏は、ブログも夏休みといった按配で、ひたすら農の仕事に従事し、声を出し、あいた時間は、図書館に行って過ごすといった私の夏だった。

夕方は7割くらいを図書館で過ごした夏だったように思う。本を読んでいると、何やかにやらと、脳が刺激を受け気分がおだやかになっている。図書館を出ると、今日も一日を無事に終えた安ど感に包まれ、一日の悦びの、ゆうげのひとときでささやかに明日の英気を養う日々。

夕飯を終えると、まったく私の頭は動かなくなる。ひたすら身体を休め、ゴロンゴロん。夜中に目が覚めた時には、また眠たくなるまで本を読んだり、ストレッチをしたり、気の向くままに。基本的に仕事の日は、朝4時に起きる。

もう少し立ったら、少し出勤タイムが遅くなるかもしれないが、そうなると朝の時間が使えるので、もう少しブログが書けるかもしれない。

ところで、今はネギの定植を主にやりながら、畑でほとんどの時間をN氏と過ごしている。実は今日はお休みなのだが、午前中3時間ほど畑で仕事をしてきた。

来週末から、9日間仕事をお休みするので、ほんのわずかではあれ、きりのいいところまでの仕事をやっておきたいとの思い、なのである。

もう何度も書いているが、農の仕事で利潤を生むのは、生半可の心懸けで為せるわけのものではない。しかし、A専務は全身全霊で果敢に挑戦している。人間の魅力とは何か。私はそこに惹かれる。農に関してはまだ始めて一年にも満たないど素人だが、働いていて実に気持ちがすがすがしく楽しい職場なのである。

私とN氏が働いていると、A専務がみたらし団子や、シュ―クリームをもってきて、休みましょうと声をかけてくださる。A専務は大の甘党である。独りで食べるのが嫌で、すぐにみんなにふるまう。

臨機応変、自由自在、柳に風、私が入ってからもあらゆる困難が次々に、ひっきりなしに現れるのだがけっして事を荒立てない。何かしらの対策をこうずる。その途方もない根気強さは、かなりの絶望感を乗り越えてきたものでないと、務まらない類の何かである。

普通の人間ではこうはいかない。ひょうひょうと事を進めてゆく精神の柔軟さは学ぶところ大である。

最近は、A専務やN氏と共に働くのが楽しいから、いそいそと職場に向かう自分がいる。少々しんどい作業でも、楽しい仲間がいて笑いながらやっていると、苦もなく作業がはかどるといった言った按配。時間が苦もなく過ぎてゆく。

まったくこのような無用なストレスのない職場は、私のこれまでの人生では初めてのことである。サンナンの農の灯をなんとしても消したくはない。汗が出て、身体が動く間は、サンナンの農の仲間とともになんとか利潤を生みだしたい。

2014-09-01

早9月、いよいよドレスデン行きが近づいてきました。

もう9月が来ました。昨日8月31日は、私が34歳の時、初めて妻と出会った日です。あれから、28年の歳月が流れたということで、いささかの感慨にやはりどうしても、ふけってしまう私です。

妻とは、振り返ると、やはり劇的に出逢ったのだという気が、今します。今朝は、巡り合いの妙というくらいに、とどめますが、今月18日、娘がドレスデンで式を挙げる儀式を目前にして、夫婦というものの在り様を、いよいよもってこれから深めてゆく時が、われわれに訪れているのだという、実感が最近します。

話は変わり、朝夕かなり涼しくなり、私にとってはありがたいのですが、今年の夏はなにやら異変続きの夏というしかない思いの私です。こんなに蝉が鳴かなかった夏というものは、私の経験では初めてのような気がしています。

お天気が、かくも人間の精神に影響を与えるのかを、実感します。こういうときは、浮足立たず、地に足をつけて静かに暮らすのが一番だというのが、目下の私の自己確認暮らしです。

とはいうものの、娘のドレスデンでの式の儀式を控え、きわめて個人的なことながら、何やらそこはかとなく、気がそぞろ立つ、妙な初めて経験する心持の最近の私です。

だから、つとめて余計なことは考えず、ひたすら眼の前の仕事を中心に据えながら、いまはただ、つつがなく式を見届け、我が家にとっての一大事を無事に終えたいという心境です。

チェコスロバキアのプラハを経由して、ドレスデンにゆくのですが、ドレスデンは先の大戦で、東京のように大爆撃を受け焦土と化し、戦後は東ドイツに組み込まれ、統一されてから25年、ようやくにして、以前のような都市に蘇ったドイツの歴史ある古都です。

我が娘は、ベルリンの壁が壊れた歳に生まれ、レイ君はその数年前に旧東ドイツ生まれました。その二人が成長し、縁あって結ばれるというのもなにやら歴史的な時代性というものを感じてしまいます。

娘が選んだ伴侶がドイツの男性であったことは、これからの私たちの人生に、またしても予期せぬいろんな出来事が起きてくる予感が、いたします。

ともあれ、案ずるより産むがやすし、二人の前途を些少なりとも見守るくらいのことしかできませんが、こんなことがない限り、プラハに立つこともなければ、ドレスデンの空気を吸うこともなかったかもしれません。

すべては二人からのプレゼントくらいの気持ちで、祝福の旅ということにしようと夫婦して話あっています。行きはレイ君娘たち我々5人、帰りは3人で9日間のドレスデンへの挙式の旅ということになります。

時間を一日だけもらって、壊れたベルリンの壁の後に、可能なら立ってみたいと思っています。それ以外はレイ君にすべてお任せの今回の旅です。何よりも向こうの両親がホテルをはじめ、いろいろとお気づかいしてくださっているので、身をゆだねることにしています。

ドイツに親戚ができる、なにやら妙な気分もしますが、すべてを楽しむことにしたく思います。さてどんな旅になるのか、皆目見当もつきませんが、出発まで静かに普段通り暮しながら、ほんの少しでもドレスデンおよび、ドイツの今を学びたく思っています。