平ら亀次郎さんの作った小屋からの眺め、最高の眺め |
昨夜岡山の知人の小さなスペースで、晩秋11月にやろうと思っている【オロ】というフィルムの試写をした。
こんなことをしたのは初めてだがまたもやいろんなことを考えてしまう夜となった。土取さんとサルドノさんの舞台(言葉がなかった、素晴らしかった)を見て京都から帰って来たばかり、わたしがいい意味で疲れていたこともある。
説明したり、上手く伝えられないことは、言葉では私は書けないし、言えない。だから企画をして見て頂いているのだ。企画者と評論家(真の批評家は別)は全く違う。共感(共振)する観客に出会いたいと、企画しながらいつも思う。
2003年の日韓パーカッションフェスティバルからあたりから、毎回これが【最後】というくらいの気持ちで企画を続けてきた。自分の非力さを痛感してきたし、時代と企画内容がずれる感覚はますます深まる中、あれから、10年企画が続けられていることに関しては、私自身驚いている。もう十分という気持ちもある。
企画には経済的なことがどうしても付きまとうので、私ごとき一庶民ではなかなかに難しい。だが時代の足音の不気味さは、脳天気な私でもちょっと気味が悪すぎる、何かしなくてはとの思いがやまないのだ。ことさらブログで書く必要もない気もするのだが、うまく書けないのでこれ以上書くのは控える。雨音に耳を傾けながら、単細胞企画者は悩む力のある今を生きる。
サルドノさん独特の動き(ルーツが異なる若い女性ダンサー3人との一人一人の共演もすごかった)、ダンスとペインティング、土取さんのパーカッションの多種類の音色の響きは、私の魂の奥深くを揺さぶり、そのことを恐ろしいまでに表現し伝えていた。最高にかっこいい年上のお二人が私に勇気の鼓動を吹き込む。
その感覚を共有できる感性の持ち主と、これからの人生を歩みたいとおもう。珍しく遅く帰ってきた、私の机の上に、とある介護の事業所から、仕事内定の通知が届いていた。
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