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亀次郎さんの棚田を守る息子さんの萬次さん(80歳) |
日中はともかく、今朝は少々肌寒いくらいに感じたが、少し動いたらちょうどいい感じになり穏やかな気持ちで、ちょっと何かを綴りたい私である。本当にわずか3週間前の暑さがうそのようである。
日本人が物事をすぐ忘れる、というのはこういう風土の、歴史的な時間の積み重ねの上に存在しているからなのかもしれない。たかだか一庶民の、よたよたブログだが、健康な間可能な限り書きつづけても、ささやかな個人史の、歴史的大転換時代の、つぶやきとしても、残らないし(それでいい)うたかたのように、消えてゆくだろう。
私のブログのほとんどの一文は、何を書くのかを前もって決めていない。その日何とはなしに、浮かんでくる言葉をつれづれに、綴っているにすぎない。しかし、継続するということからしか見えてこないということがあるのだということを、あらためて感じる。石の上にも3年、という真実。
外見は日々老いてゆくのであるが、内面は微妙に変化し続ける、欲望は限りなく減ってくるのに対し、煩悩はそうは簡単に止まないということである。止まないから、企画をしたり、ブログを書いたりしたくなるわけだ。それこそが生の証ということであるのかもしれない。
反省、日々の自己確認、揺らぎを鎮めるため、綴る、書くという行為は、私の場合限りなく自己満足感が大部のような認識である。絶対的矛盾を抱えながらの。
さて、朝から何やら生真面目なブログだが、話題は変わり、昨日とある介護の事業所に面接に行ってきた。一つは内定していて、今日研修がある。おそらくこの二つの事業所のどちらかで、週に3日程度10月から働かせていただくことになる可能性が高い。
子育ても一段落、フルタイムではないがこの年から一から始める仕事に関して、この夏ひょんなことから介護の勉強をさせていただいたので、せっかく学んだことを活かせることを、第一義に考えての事だ。
介護の勉強を始める前は、何か私にできる肉体労働をしたいとは考えていたが、よもやまさか自分が介護の現場で働くことになるなんてことは、数か月前までは考えもしなかった。ほんの少し、学んだだけ、経験したことがない仕事なので、今はただまっさらの気持ちで取り組んでみたい。
4年前、ブログを始める時にITの海に飛び込む覚悟で始めたと書いた記憶があるのだが、何事も、飛び込んでみないことには分からない。とりあえず、飛び込む位のところから、私を受け入れてくれるような事業所に御世話になることにした。
声を出すことも、企画することも、介護の仕事も、生きている、生きるという一点ですべてはつながっている。
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