オロの撮影監督大切な友人T氏から、昨年東京でのロードショウ上映に使われてあまったチラシが130枚以上送られてきたのを無駄にしたくなく、表の余白に・日時と値段と場所と問い合わせを入れプリントアウトした。チケットも妻(がほとんど)と二人で作った。
退職後の企画は妻との二人三脚でほとんど作っている。子育てから解放されつつある妻が、負担の無い範囲で、すこぶる協力してくれているので私としては感謝の言葉しかない。
さて、チラシができると後は私の仕事である。一週間後には祝の島のチラシも出来上がる。10月から私はあらゆる意味において忙しくなるが、生活者として働きながら企画をするというのが、私らしい企画になるのではという淡い(毎回最後という気持ちで企画したい)希望だ。オロ・祝の島・私の中の何かが繋がるのだ。
今後やりたい企画が、現実の時代のなかで不可能ではあっても、元気な間は探し続けないと、企画できる可能性は生まれてこない、企画は出来ない。それではあまりに虚しい。
話に脈絡がないが、今夜6時から先週オロの試写をした知人のスペースで、祝の島も試写をする。何故こんな今までしたことがないことまでして、自主上映会をするのかは自分の中でも、正直分からない。ただ一つ言えることは気力がある間は、可能なことはやって当日を迎えたいという、性が止まないのだ。
何かを企画するということは、砂をつかむような感覚が付きまとうのだが、山登りと同じで、登った者にしか、企画したものにしか分かり得ないということがある。
企画をするということは、限りなく何かを学び続ける営為だと、21年続けてきて実感している。無知の怖さを思い知る私は、知る学ぶということの限りない面白さに支えられて、今もこうやって企画が続けられているのだと思う。
私が多少なりともこの20数年、もしいくばくか成長できたとしたら、ただ企画を続けたからだと思う。可能なら今しばらく、企画をすることで世界と交信し、世界の多様な文化というしかない、真実に触れることで自分自身を活性化させたい。
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