棚田のど真ん中にある亀次郎さんが作った小屋 |
数日前、母の指導のもとに冬野菜のたねをまいたのだが(大根、春菊、カイワレ、ワケギ、ミズ菜、などの)、先ほど起きてすぐに水をあげた。これからは妻に倣い、土に親しむということがすごくやりたくなってきている自分が育ってきている。
これは夢が原で21年、土と直に触れる環境で働いていたということがやはり大きいし、何よりも母から学んで、ほんのわずかでもいいから手の届く範囲で野菜を育て、それを頂くということにたいしての感謝の念を忘れたくはない。
種をまき収穫するまでには手がかかる。それは何事かを企画し実現するということと、かなり通じるところがある。ともあれ、これから先ますます妻と二人土に親しむ時間は増えてゆくと思う。私自身の生活に根を張ること。
さて昨夜、わずかな人数ではあったが【祝の島】の試写をしました。二週間前にわずか一泊ではありましたが、祝島を歩き、フィルムの中でもっともゆきたかった平亀次郎さんが30年かけて創られたという棚田を見てきた私には、フィルムがまた全く違った印象で、細部が立ちあがって見えた。
上手く言えないが、このフィルムにえがかれている島の人々の暮らしは、今の私の暮らしに限りなく自省を迫るのである。爪の垢でも限りなくあの人たちのように、つましく豊かに生活できたら、それで充分という気がするのだ。
後は実践あるのみ。オロと祝の島は、私の人生で巡り合えた素敵な方々が、心血を注いで創られたフィルムである。私ごときが企画するのは、はなはだ非力ではあることは承知しつつも、今この世界の片隅で、このような暮らしを余儀なくされているという現実を、知ることの重み。私も企画をすることで、ひとりの人間として考え続けたいと思う。
祝の島を企画することで、この夏、平亀次郎さんの御子息萬次さん(80歳)にお会いできたこと、あの棚田に巡り合えたことは、きっとこれからの人生を導いてくれるような気がしてならない。どんなにささやかな自分という器であれ、先ず自分の足で歩むしかない。
あの日、歩いて道の最後のコーナーを曲がり、いきなり亀次郎さんが創られた、あの棚田が飛び込んできたときの驚き、以来あの棚田は私の中に棲み続けている。
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