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2012-09-30

土取利行さんのブログ(9月29日)音楽略記・拝読。

妻が作ってくれたチケット

土取さんのブログ、音楽略記は実に読み応えのあるブログで、蒙が開かれるような記述に満ち満ちているので、企画者の私は、勉強(他にいい言葉がない)する心持で、毎回アップされると、繰り返し読んでいる。

 

さて、氏の29日のブログに、9月7日の西大寺観音院で行われた邦楽番外地に関しての、一文が綴られているのを、今朝先ほど読んだ。私のブログを開いてくださっている方は、」ぜひとも読んでいただきたい。

 

氏の、このような一文を前にすると、改めて日高事務所の出発企画に、邦楽番外地を選んだ判断は、直感的に間違っていなかったという思いにとらわれるのである。安全な道ではなく、企画する自分自身が、ギリギリの中で必死にもがくことの中でしか、見つけられない、何かがあるという事実に、改めて気づかされる今の私なのである。

 

年齢を、積み上げる、重ねる、そのやり続ける企画の連続の上にしか、新しい企画は見えてこない、という厳然たる事実に、思いいたるのである。苦しい思いをしたればこそ、の感動ということしか、やはりないのである。

 

安易な楽しさや、癒しの言葉、ヒーリング音楽、などなどが、この拝金万能時代、跳梁跋扈している世相ではあるけれども、物事をきちんと考え、受けとめ、しっかり地に足をつけて生きておられる方々が、邦楽番外地に足を運んでくださったのを、私はしっかりと、この眼底に焼き付けた。

 

時代錯誤的は、重々承知しつつも、安易に時代に迎合したような企画はどうにも、私には企画しようがないというのが、真情吐露というところだ。

 

土取さんのホームページを開くと、ユーチューブで氏の演歌の世界を聴くことができる。最近、一日に数曲聴くのが、私の楽しみの一つになっている。ぜひ皆さんも聴いてほしい。単なる懐古趣味には程遠い、いまの時代を強烈に照射する、唄の数々が、土取さんによって、息を吹き込まれている。

 

さて、11月25日(日曜)午後二時半から、玉島は円通寺で、土取さんの独演会が行われることは、ブログで伝えていますが、昨日チケットも完成、150枚作りました。今日から、販売します。郵便振替は01340-6-65098(振込先はプロジェクトEMPTYSACE)です。チケット代は前売りも、当日も、同じ2500円です。完売したく思います。御早目にチケットご購入のほどお願い致します

 

2012-09-29

A氏を見舞い、その息子さんのF君と語り合う

今の季節夢が原は早朝蜘蛛の糸が見事です

29日(土曜)の朝が明けてきました。なんともや静かな休日の朝、軽く湯を浴び、いつものようにコーヒーを入れての一人時間、さあて今日はなにをしようか、と日高事務所の仕事に頭を切り替えています。

 

昨夜は、私の大切な応援者であるA氏が入院されて(幸い、重くはなくてよかった)いることを知り、仕事帰りちょっと様子を見に立ち寄り、その後彼の息子さんと(20代と若い)食事をして帰ったので、帰宅が遅く、ぶっ倒れるように寝て、先ほどいつも通り、元気に起きて、ブログタイムというわけです。

 

A氏は、私と同じ年齢、文科系と体育会系の交友といったらわかりやすいと思いますが、まったく、私の友人関係の中では、めずらしいタイプなのですが、どういうわけなのか私のイベント企画を支援してくれる、おおらかな懐の広い、優しい方です。

 

先日の邦楽番外地も、親子で来てくださいました。観客は内容が、明治大正の演歌なので年齢を召した方が、多かったのですが、A氏の息子のF君は20代の唯一の観客だったのではないかと思います。親子そろって、とてもいい音楽会だったと言ってくださいました。

 

何よりもF君が、ヨイトマケの唄を聴いて、涙が出たと言ってくれたのは格別嬉しかったです。企画者として、一番うれしいのは世代を超えて、何か人間として心がかよいあう(子供であっても)企画や、塾を目指している私としては、時代の閉塞感、心とこころが素直に通いあえない摩訶不思議な息苦しい時代の中で、彼のように受けとめてくれる若者もいるというのは、いわば希望なのです。希望を持ちずらい時代に、希望の日を灯す音楽会。

 

いろんな世代が一堂に会し、楽しめる音楽会は、現代において可能なのか(世代が分断され、あらゆる感性も、感覚も分断され、内的にうっ屈し、社会が全体的に引きこもり感に覆われている)という、企画者として、私自身問い続けてゆかなければならないような気がするのです。

 

このような時代の中で始める、いきいき遊心塾とはなにを目指すのか、F君とゆっくり語り合ったのですが、私の企画する音楽会も、塾も一言でいえば、たまたま居合わせた人たちで、その場と空間で時間を共有し、お互いを活性化し楽しむということに尽きるということです。その時間で創ってゆく塾です。

 

声や身体を動かし他者との関係性の中で、気持ちのいい自分を見つけてゆく、いま生きている可能性の扉を、引きこもり状態から解放する塾。F君に私の考えていることがかなりつたわった、久しぶりに世代を超えての楽しい、語らい食事会でした。

2012-09-27

秋爛漫の季節の到来のなか、チケットを夫婦で作る

20年、立派な実をつけ始めた夢が原の栗の木

三日月から半月、徐々に月が満月になるのを眺めながら駅から我が家まで歩くのは、私の本当にささやかな楽しみに一つだ。月と太陽はほんとうに私と繋がっているのを感じさせてくれる、私の大好きな秋である。

 

夏だとこうはいかない、涼しくなってきたからこそ、そのような気分になれる。正直夏の疲れが、まだ抜けないまま秋に突入、円通寺の土取さんの邦楽番外地に向かっている。

 

何かを企画すると、ほんとうに時間は流れるように過ぎてゆくのを、私の身体は知っている。だから、この20年間というものは、まさに流れるように過ぎて行ったというのが、実感である。別のいい方をすれば、何かを企画していないと、精神的にバランスがとれないような時代を(だから今も)、自分を生きている。という自覚が強烈に私のどこかにあるのだ。

 

妻は、私の身体を案じてくれる、が、企画していなかったら、どこか自分は調子が狂うような気がするのである。無理をしてしまうほどの、何かが私をしてつき動かすのだと思う。それは苦しい無理ではない。一本の企画を終えるまでは、かなりの時間を必要とするわけだけれども、20年以上、情熱を注ぎこんできたおかげで、還暦でようやっと新しい地平に立てたような、心もちの私なのです。

 

ところで、今回も手書きのチケットを書くつもりでしたが、見かねた妻が(彼女は私にとっては、実に有能な人です)、何とパソコンであっという間に、チケットを作って(貴重な休日に)くれました。それから、来年から日高事務所の出納係をやってくれるというのです。この半年の私の姿を見ていて、哀れに思ってくれたのかもそれません。

 

身内で、影のように支えてくれている妻が、本格的な来年からの日高事務所の金銭的なことの管理をしてくれるというのは、芸人企画者として、再出発しようとする私にとって、これほど心強いことはありません。

 

生命を生み出せない男()という存在は、どこかで幻想を追い、観念的に遊ぶことで、自分という存在を支えているのかもしれないという気が、どこかでします。私の妻は、私にとっては、いまだ謎のような存在です。だから共に暮らして、26年、つかず離れずひとつ屋根の下で暮らしてきたのだと思えます。

 

妻のことは、70過ぎたら、いずれゆっくりかくことがあれば、と思う今です。ともあれ、今日はお休み、チケットを作り、日高事務所の仕事に専念します。

2012-09-25

改めて知らされた、放射能の空恐ろしさ


昨夜、NHKEテレビ、1986年に起きたチェルノブイリ事故後、ウクライナやベラルーシで起き続け、甲状腺がんが子供だけではなく大人にも増え続けているという、ほとんど報じられることの少ない、ドキュメントがオンエアーされているのを、藤原新也さんのWMで知り、途中から見た。

 

朝が早い私は、九時過ぎには横になるので、ほとんどテレビは見ないということは度々書いているが、放射能汚染の恐ろしさというものの、実態が、あれから26年後の今、こんな形で知らされると、低レベルだから安全などということの線引きが、まったく虚しいということを改めて知らされた。

 

信頼する方からの、情報がなかったら、見逃したかもしれないということを考えると、信頼に値すると感じられる、友人知人、または表現者を、生活圏に持っていないと、まったくの不感症人間になってしまうのではないかという、怖れがかろうじてまだ私の中にはある。やがては老いて、感覚のアンテナが錆びるのは、いたしかたないとはいえ、一年でも長く現役で企画をするということを、これからはいよいよ個人的に始めようとしている私には、絶対に見逃してはいけない番組だった。

 

このようなオンエアーされることが少ない番組を、作ってくださっているテレビマンもいるのだということは、救いである。ある種の使命感を持って、きちんと自分の仕事に誇りを持って、取り組んでおられる方々がまだまだいらっしゃるということは、大きな救いである。

 

命の尊さや、絆や、なんとも言葉が、こんなにも軽く実態なく飛び交う時代は、60年の人生で、いまだ私は経験したことがない。正直空恐ろしい時代が、ひたひたと、知らず知らずのうちに、(見ようともせず、考えようともせず、言うこともせず)押し寄せてきている気がしてならない。根の無い、実態のない言葉や、テレビ番組が、ほぼ一日中垂れ流しの国、日本。

 

私は、無知蒙昧の、複雑怪奇な経済の仕組みのことなど、ほとんど何も知らない、朴念人を自認する平凡な人間であるが、人間が人間に対して、こんなにも残酷極まりないことが平気できる人たちが存在するということについては、語る言葉がない。ある意味で無限地獄的な、空恐ろしくもおぞましい武器の数々、核爆弾、核エネルギーを創りだし、それを売買し消費することによって、生きる、国際企業経済産業人たちがいる。

 

ほとんど新聞やテレビでは伝えられないが、真実は知りたくもないほどに、複雑怪奇ということを、うすうすと多かれ少なかれ、大多数の人々は感じつつ、途方に暮れているのかもしれない。かくいう私もその中の一人のような気がする。

 

スーパー通信、ハイテクノロジー時代は人間を幸福にするのかしないのか、私はかなり悲観的にならざるを得ない。罪のない子供や、ごく普通の市民が、大きな力の巻き添えで血を流し巻き添えになってゆく映像を、繰り返し見せられると、人間という生き物は不感症になってゆく。

 

そういう映像に対して、無感覚になってゆくという人間性の恐ろしさについては、平和なときにしか考えられないのだから(非常事態では、人間は非常にならざるを得ない、生きものだ)思考できるときに、しっかり思考する訓練をしておかないと、大変なことになるし、もうそのような時代が、バブルがはじけたころから、始まっているという気が、私個人はしている。

 

 

2012-09-23

芸人企画者としての覚悟を問い続けたく思います

先生が最もお好きだった遊ぶという文字、万文の分の一でも。

経済的な意味で、お金によりかからず、貧しい充実ということがあるものなら、それを可能な限り実践、生きてみようというのが、私が夢が原を辞める時にきめた、ささやかな決意である。

 

そもそもお金というものが、人間の生活を幸福にしてくれるものなのか、否かということについての、思考が、私の中でこれまであまりにしてこなかった反省が、還暦を機に私の中で大きくなってきたのだ。

 

安定した収入がなくても、芸術家や芸人という生き方を選択するしかなった(もちろんそれ以外にも、いろんな職業の)、あまたのこれまでの、歴史の上に存在する人々のことを最近しきりに、考え、想うようになってきた、できるようになってきた。ボーっと思いをはせる余裕時間がようやっと、私の人生に訪れつつあるのだ。

 

社会に出て何とか42年生きたのちに訪れてきた、この喜びは、やはり私自身にしかわからないある種の感情だと思う。この20年間も企画とささやかに年に数回のちいさな未知の旅ができれば、なにもいらない、というくらいに妻と共につましく暮らしながら子育てをしてきた。

 

その子供たちも、ほぼ自立の時を迎え、いよいよ本格的に夫婦の時間がはじまる、人生の時を迎えようとしている。

 

23日真夜中、眼が覚めたので、ぼんやりパソコンを開いていたら、何かを綴りたくなる。この何とも言えない静けさのなかでの、穏やかな時の流れを、ある種の幸福感を持って過せるというのは、しみじみとありがたいことだと思う。

 

あとひと月で、ブログを書きはじめて3年になる。毎日書いているわけではないが、熱しやすく冷めやすいという、極めて日本人らしい性格を持っている私としては、自己満足的ですがよく続けてきたものだと思いますし、いまでは、考えていることを見つめ、煮詰め、整理し、文章化することは、生活の一部になりました。

 

なにも書くことが、浮かばない時には過去にさかのぼって、自分が書いたものをときおり読んだりも最近はするのですが、こんなことを書いていたのだと、驚いたりもします。

 

自分という存在は、この3年でもかなり変化しているということに気づかされるのです。芸人企画者の未知(路)を、これからしばらくは勇気を持って右往左往したく思います。

2012-09-22

土取さんのおかげで、唖蝉坊の世界に惹かれます

私が若いころ、宿直のアルバイトをしていた出版社が出していた、添田知道氏の本、縁です

まだ週4日働きながら、来年の完全フリー向けて、この4月からあれやこれやの思考(試行)錯誤をし、いろんなことを学び、なんとか邦楽番外地を、日高事務所支援会員のおかげで乗り越え、また、1125日(日曜午後二時半から)の玉島円通寺での土取さんの演歌、独演会に向けて、またいきいき遊心塾の再出発に向けて、緩やかに、60歳の今を生きています。

 

当日まで、一人でやれることは一人でやろうと決めました。こないだは手作りチケットでしたが、今回からチラシも文字だけになるのですが、創ってみようと(これからの人生は、遊び心にきめたのですから)いま、思っています。

 

チケットも出来る限りプレイガイドにはおかず、プロジェクトEMPTYSPACEの郵便振替口座(013406-6-65098)に郵送費を含め払っていただき、こちらから送るということにしたいと思います。そして、チケットの行商をします。手の届く範囲の音楽会を日高事務所は目指します。

 

これからの人生で、後何本の企画ができるのかは私自身にもわかりませんが、そんなことよりも、自分が素直にエネルギーを燃やせるアーティストや、映画他に、焦点を絞って、魂を入れて企画しますので、どうかよろしくお願い致します。

 

能天気な私でも、ときおりは何故、自分は企画するのかを考えるのですが、それは以前も書いたような気もするのですが、現役で企画している間はここに書くのは長くなるので、控えます。ただ私の企画に足を運んでくださる方がおられる限りは、可能な限り、企画の見果てぬ夢(軸足を地面に置いて)を追いたく思います。なぜなら、私は小さいころから、夢や希望があったからこそ、生き延びることができたのですから。ともあれ、なんとか今、企画ができている事は、幸福というしかありません。

 

この年になると、はなはだ時間というものが貴重に感じられますが、手間暇を惜しまず、時間がかかることを、楽しめるような企画がやりたくなるというのは、やはり年齢のような気がします。開高健さん流なら、悠々と急ぐ、という感じでしょうか。

 

つまりは当たり前、生きているからこそ企画できるという、単純な真理に行き着くというわけです。何という当たり前のすばらしさ、私が当たり前のことと思える、なにはなくとも豊かな世界を、共有し合える観客(オーディエンス)がいる間は、続けます。今日は午後和紙を買いにゆき、今月中には150枚のチケットを親父の形見の硯で書きあげます。

 

 

 

 

 

 

 

2012-09-18

10月から・いきいき(呼吸・意気)遊心塾始めます

先日とある方から頂いた夢が原で働いている私・昨年の今頃

今日の夕方山陽新聞の方が、わたしのことを夕刊で取り上げてくださるとのことで、取材があります。

 

どのような取材になるのか楽しみですが、わたしとしてはこれから本気で、日曜日に、子供いきいき塾をやりたいので、そのことも取材してほしい旨伝え、夏休みに教えた子供たちにも、取材の時に集まってもらうことにしました。

 

子どもたちは、こないだの邦楽番外地にも来てくれましたし、私が初めて教えた子供たちです。もし夏休みにこの子供たちに出会わなかったら、子供いきいき塾を始めることはなかったかもしれない、ということを考えると、この子供たちの、いきいきとした変化が、私に新しい可能性の扉を、あたえてくれたことを、とても感謝しています。

 

そのことは、わたしの中でいろんなことを再び考えさせ、いきいき(呼吸・意気・)遊心塾として、子供の塾と、大人の塾の二つを、午前と午後に分けて、10月から、日曜日に始めることにいたしました。一クラス15人まで。一回の参加費は1000円です。

 

したがって、土曜日の午前中に始めていた、中高年対象の塾は辞めることにしました。受講者を絞るのではなく、広げることにしました。一応大人の塾は15歳以上とします。私にとっても挑戦です。

 

一口に声を出す塾といっても、なかなかに説明するのが、ややこしいのですが、一言でいえば、日本語の文語体を声に出す訓練をする塾です。

 

子供のうちに、日本語の、宝石のような磨き抜かれた文体を、声を出すことで、身体の芯に埋め込む塾です。小さいころに諳んじた日本語の文体の豊かさは、きっとその後の人生を豊かにしてくれることを、わたしは確信して疑いません。

 

大人の方たちにも似たようなことをするのですが、暗唱したりすることは致しません。(やりたい人はやってもいい)大人の方たちには、少し体を動かすこともやりたく思います。声を出すことで、いきいきと自分自身と遊んでもらいたいのです。

 

無心に遊び声を出すことの、豊かさ楽しさを、自分自身の身体を通して、見つけるための、いきいき遊心塾です。御参加をお待ちします。

 

 

2012-09-17

円通寺で11月25日・土取利行さんの独演会決定

西大寺でのリハーサル風景

先日円通寺(倉敷市玉島)にゆき、昨日再びアポをとって円通寺にゆき、御住職にお会いし私の思いを伝えました。

 

結論、急きょ、11月25日の日曜日、午後二時半から、土取利行さんの明治大正演歌の、独演会をやることにしました。9月7日、再出発企画を終えたばかりではあるのですが、いまだいろんな思いが渦巻いていまして、大きな力が私を突き動かすのです。

 

なにはともあれ、このブログを開いてくださっている方に、一番先にお伝えします。後ほぼ二月、そんなに時間がないので、ささやかなチラシは作りますが、こないだと同じように、手作りチケットを作り、地道に手売り、行商しますので、くれぐれもどうかよろしくお願い致します。

 

こないだは、平日の夜であったため、日高事務所の協賛支援会員のほとんどの方が、来られなかったので、今回は日曜日の午後ですので、是非来ていただきたいのです。もちろん来年三月まで、私が企画するものは全て御招待いたします。

 

先着、150枚今日から予約を受け付けます。話は変わりますが、こないだ邦楽番外地の公演の前日、演歌についてのレクチャーがあり、参加者は11人とわずかではあったのですが、実に蒙が開かれる有意義な講義で、その余韻がいまだ冷めやらず、添田唖蝉坊・知道親子の演歌の世界を、土取さんを通じて、もっともっと聴いてみたくなったのです。

 

円通寺で聴く土取さんの、明治大正の演歌は、きっとこないだとは、また異なる雰囲気の独演会になりそうな予感がします、そのことが企画者をワクワクさせます。

 

円通寺から戻り、土取さんに決定したことをすぐ伝えました。こないだは歌えなかった20分くらいかかる長い曲も唄うよ、と連続企画に熱い胸中の反応が返ってきました。

 

いずれにせよ、企画者の一番の資質は、決断することです。うまく言えませんが、あの時代の演歌が、いまという時代の閉塞感を打ち破ってくれるような気がしてならないのです。

 

11月25日に向けて、円通寺で添田唖蝉坊・知道を聴く会、を仲間と立ち上げることにしました。

2012-09-16

本橋成一監督から身に余るお祝いと激励を頂きました

ささやかな企画者に勇気を与えてくれる本橋監督のすごい仕事

格別な、思いもかけないが起こるというのは、人生の大きな喜びの一つだと思うけれども、夢が原を辞める決断をしてからというもの、嬉しい出来事や、予期せぬ新たな出会いが次々に起こり、そのことが実に私の精神を、さわやかな喜びで満たしてくれている。

 

この年になると、他の人は知らないが、そうは度々嬉しい出来事というのは訪ずれないのが普通のような気がするのだが、(当たり前のことだが)初めて60歳代に入って感じるのは、やはり心と身体がいきいきとさえしていれば、その内なる自分に素直に反応する、勇気さえあれば、つぎ次に物事は展開し、新たな相貌を見せるのだということを、実感している。

 

一昨日、円通寺(素晴らしいお寺でした)を訪ね、朝が早い私が、めずらしく夜遅く帰ると、封書が机に。差出人は、ナージャの村で土門拳賞にも輝き、ナージャの村や、アレクセイと泉、の映画フィルムも撮られている、私が尊敬しているお仕事をされている、写真家・本橋成一氏からであった。

 

あけてびっくり、詳細は私の拙い一文で、ブログに書くことは控えますが、わたしの再出発を祝福して下さる、もろもろが入っていたのです。身に余る志と、再びの芸人さんにカンパイの言葉、とどめは、ささやかなファンですヨ、の言葉。

 

実はこの夏、8月のある日、本橋監督(私は氏の作品である、アレクセイと泉のフィルムを10年くらい前に、岡山で自主上映したことがある関係から、どうしても監督と呼んでしまうのです)の・屠場・という30年以上かけて撮られた写真展が東京に続き、大阪でも開かれていたので、ブログには書きませんでした(簡単には触れられない)が、なんとか見に往く機会を持ちました。

 

その写真展は、これまで私が見た写真展の中で、人類(人間)が生きてゆく上で、もっとも根源的なテーマを内包した、一言でいえば写真展でした。月並みなことばでは形容できない、人間が生きることの闇の深さ、と、屠場で生きることを、職業とされている方々のその深淵が私ごときにも、圧倒的に伝わってきました。

 

牛を解体することで生きてきた人たちの、その存在感のすごさ、素晴らしさは、ある種私には、牛の存在感を超えるほどに、迫ってきました。構造の見えないあらゆる快適機器に踊らされ、生きた自分の肉体を忘れ、貧血気味の大多数の都会でしか生きることの叶わぬ現代人。命の血しぶきが、見えなくなっている我々の暮らしに、強烈なインパクトを与えずにはおかない、白黒作品とは思えない、いろんな色・気配を感じさせる写真の数々。

 

素人の私にも感じる、デジタルでは、とらえられない、本橋感覚。見えないからこそ素晴らしい、想像力を鍛えずにはおかない、闇の真実。

 

普段の暮らしではまず見ることのない、アンタッチャブルな世界をこんなにも、芸術的に昇華(ある種の神々しさを感じた)するまでに、時を待って発酵化された、比類ない闇の奥の奥の、人間存在の素晴らしさ、輝きを見つめ続けた写真家の三十年の重み。

 

誰もがなしえなかったことに挑戦し、生きた(陽の当らない、ヒトがあまり見ようとしない世界に活きる人に対する慈愛の感覚)お金とは無縁な仕事を一貫して続けてきたからこそから、成し得、到達できた闇の世界の温かさを伝える写真展でした。

 

そのような大先輩から、ファンだと言われたことの嬉しさは、言葉では表せません。散々心配をかけた、闇に眠る両親にこの嬉しさを伝えました。

 

監督、ありがとうございました。私もささやかに、精進します。

 

 

2012-09-13

玉島の円通寺を訪ねます


夢が原での、やはり無心の草刈りのおかげなのか、天地の力なのか、徐々に大冒険企画の疲れもさわやかな朝夕の涼しさと共に、普段の生活に戻りつつあります。

 

早寝早起きの生活は、すっかり私の生活では今では当たり前になりつつあります。一日一日夜明けが遅くなってゆく季節ですが、早朝駅に向かう道すがら朝日を浴びるのは、なんとも言えません。

 

夢が原のおかげで、この21年朝焼け、夕焼けの美しさに見入り、何度救われたことでしょう。陽の出、夕日を愛でる、月を愛でる、これは死ぬまでできる、私の生きているお金のかからない、ささやかな楽しみの一つです。

 

花鳥風月を愛でることを、ことのほか日本人は好みます。どのようなイデオロギーも苦手な私ですが、日本人ならではの感性は、いくばくか、いかに西洋化の影響を受けたとはいえ、心の深いところを脈々と流れている、そのような思いにしばしばとらわれる、還暦の私です。

 

さて前回、邦楽番外地の余韻いまだ冷めやらずということを書きましたが、添田唖蝉坊の世界を土取さんによって、知ることができ、還暦で唖蝉坊に出会えたことは、うまく言えませんが、これから私が生きてゆく上で、大きな支えになるような予感がします。

 

それほどまでに、強靭な精神の自在さというものに満ち満ちている、多様な唄の世界の豊かさに、(私自身が今を生きる中で見失っていた大切な世界が、わんさか詰まっているということに)遅まきですが、気づきつつあるという自覚です。

 

この感覚は、実にわたしを穏やかにしてくれる感覚としか、いまは記せないのですが、何か企画者として、ささやかなるとも、たんなる音楽会を企画するのではなく、たまたま集う、来られた方と演者スタッフ、一期一会の時間が幸福感に包まれるような企画を、やりたいと、考えるのです。西大寺観音院に来られた聴衆は素晴らしかった。

 

ヒトはどこからどこへ向かうのか、私自身途方にくれながら生きていますが、再出発企画として直感的にこれだと思った邦楽番外地は、お金では買えない何かを私に知らしめました。

 

お休みの今日午後、在りし日唖蝉坊が立ち寄ったという、玉島の円通寺を訪ねてみようと思っています。

2012-09-12

余韻いまだ冷めやらず・邦楽番外地

10日の夜明け・西大寺駅で電車に乗る前写す

邦楽番外地、私にとっての大きな企画が終わって4日経ちますが、これまでに経験したことがない余韻がいまだに続いていまして、正直ブログを書く気が起きない(思いがまとまらない)のですが、なんとか夢が原でなにも考えず、汗を流し働いています。

 

無心に草を刈り、その草を集め、燃やしたりしながら、(もちろん他にもいろんなことをしながら)ひたすら身体を動かしながら、青空の下働いております。私は汗を流しながら考えることが好きです

 

それにしても、今回の邦楽番外地は、これまでの集大成という意味でも、これからを生きてゆく、再出発という意味でも、大きな節目の企画であったということを(今はまだきちんと整理できないのですが)おぼろげながら感じています。

 

小泉文夫先生は唄を歌わなくなった民族は滅ぶとおっしゃっています。

 

まさにそのような時代(が訪れている気がしています)の中、無知蒙昧、非力な企画者である私が、なんとか土取利行氏による邦楽番外地を企画できたことは、今しかできない、いま企画しなくては、という一点において、私にとっての大きな山に、遭難しながらなんとか登りきることができた安堵感に包まれているというところでしょうか。

 

個人的なことですが、今回このような私にとっての大冒険企画、登りきることができたのはこれまでの人生で巡り合えた、宝石のような友人(家族も含む)たちのおかげです。音響・照明・記録・雑事一般、すべて無償の行為で、成立することができました。

 

そのことに対する万感の感謝は、なんとしても今夜ここに書きつづっておかなければとの思いです。

 

そして何よりも、素晴らしい記録が撮れたこと。今回の企画は平日でしたので、私を個人的にお応援して下さっている方々はほとんど参加することができなかったのです。だから私はその方たちのために、DVDができたら、上映会をするつもりです。お詫びの上映会です。

 

それから、私の大きな企画、(ママディの時から19年)関東から深夜バスで往復かけつけ、ボランティアしてくれている親友のK氏のことは、何と表現していいのかわからないくらい、嬉しく言葉がないです。彼が岡山に来られなくなったら、私は企画することを辞めるかもしれません。

 

何故、企画をするのかという問いに対しての答えの一つに、年に一度私の企画で友人たちと遊ぶことで、いま現在を生きていることを確認したいということも、大きいのです。

 

還暦を過ぎたのですから、これからは幼少期とはまた異なる意味で、ひたすら晩年を遊ぶということを、探してみたいという思いにとらわれる私です。

 

演歌の唄にもありましたが、あなたこの世に何しに来たのという問いは、限りなく意識が動く間は、繰り返し考えるに足る言葉に思えます。

 

この間も書きましたが、遊びをせむとや生まれけん、という言葉は、おそらく今後私がなにをするにしても、生きてゆく上でもっとも重要な言葉になりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

2012-09-06

土取り利行氏による・邦楽番外地今夜から始まる

10数余年の歳月をかけて書かれた比類のない書物

御挨拶にかえて

 

1978年、26歳の時、ロンドンで土取利行(つちとりとしゆき)さんと出会わなかったら、おそらく私はその後このような人生は歩まなかっただろうという気がする。それほどに2歳年上の彼との巡り合いの意味は、今はまだ落ち着いては語れないほどに大きいという気が、やはりどうしてもしてしまう。

 

二十代後半、初めて土取さんのドラムソロを聴いた時の衝撃は、ふわふわ生きていた私にとってまさに驚天動地、細い鍛えこまれた肉体が鞭のようにしなり、発せられる打楽の音の周波は、根底から私の身体を揺さぶった。一時間以上のドラミング(いろんな世界の見知らぬ国ぐにの打楽器も、その時初めて見た)のソロ、肉体を限界まで酷使し、表現する前人未到の音の世界。フリーインプロビゼーション、即興による音の乱舞。

一流の音楽家のコンサートに出かけて、口当たりのいい心地よい音楽しか聴いたことのなかった私は、あらゆる音の波動が私の全身に襲いかかり、なにがなんだかわからないほどに打ちのめされてしまったのだ。それほどまでに全存在を賭けて、身体を使い、声を出し、叫びとささやきの、パーカッションを聴いたことがなかった私は、一言でいえば商業的な音楽家とは全く異なる音楽家の未知の存在に、ある種の畏怖の念を初めて持ったのだ。

宇宙の波動、純粋な魂の肉体から発せられる音の世界は、限りなく広く、繊細多様で、真の音の一滴は、肺腑をえぐりまだ若かった私の心の深いところに沁み入ったのだ。以来、土取さんの存在は、私の心の片隅から消えたことがない。

 

四十歳で、美星町の中世夢が原で企画者として再出発した私は、いつか土取さんを企画する夢を心に誓いながら、縁の在る方々からのオファーを中心に企画者の修業をしながら、機をうかがっていたのだが、ようやくその機がやってきたのは、日韓パーカッションフェスティバル、私は五十一歳になっていた。

 

還暦を迎えた私が、今、再出発に企画するのが土取さんの邦楽番外地、明治大正演歌の世界を選んだのには、いろいろな思いが詰まっている、余白の都合で割愛するが、氏と巡り合い三十五年、私の企画者としての個人的な、一区切りの集大成として、どうしても企画したい希有な、異能のアーティストなのである。

土取さんは、いまだ一貫して人生を賭して、あえて芸術のミューズの神に道をゆだねている。そのような方に、一回性の実人生で巡り合い、企画できる喜び、あきらめず何かを探してきたが故なのだと、ここまでささやかな私の人生を導いてくださった全ての方に、感謝します。

 

2012年・9月7日・金曜日  日高奉文

いよいよ前夜祭、今夜のレクチャーから、邦楽番外地が始まります。やると決めた時からまさに流れるように、時がたち、その日が迎えられる喜び(苦しみも含むなんとも言えない感情は、企画者ならでは)はなんとも言えないものがあります。

 

上記の一文は、当日来られた聴衆に配布するために、一週間前に書いた文章です。私のブログを開いてくださる方がたにも読んでもらいたくアップすることにしました。

 

午後には土取さんもやってきますし、他の出演者も今日から自主的に岡山入りします。カンカラ三線の、岡君、音響のS氏も経費節約で我が家にステイします。

 

それから、以前このブログで少し触れた、チベットのフィルム・オロ・(来年上映会をしますのでくれぐれもご協力お願い致します)を撮られたカメラマンのT氏が手弁当で、我が家に宿泊し、今回の邦楽番外地を記録して下さいます。今の時代に明治大正時代の演歌を歌う、土取利行氏の仕事を記録することは、日高事務所の大切な仕事の一つだと、考えます。もうそれだけで、精神的には黒字です。

 

Tさんレベルのカメラマンは、ギャラのことを考えたらとても来てくださいとは、思ってはいても、なかなか口には出せないのですが、口に出してみましたら、スケジュール空けてるよ、との御返事。持つべきは友、苦しい時に頼りになるのが真の友。出演者もスタッフも素晴らしい、このような方たちと仕事をするということが(したくなる)私にとってのイベントなのだと思えます。

 

これから二日間は私にとっての、極めて個人的にささやかに、聴きに来てくださる方たちとの超ミニのお祭りが始まる。今こちら側で生きている我々と、彼方に往かれているあまたの方々との、祈りの交流のイベンチュアルな祭りである。演じ奉じるのは土取利行氏とその仲間である。

 

当日券を、20枚用意しました。このブログを開いて、聴いてみたいと思われる方いらしたら、どうぞお足をお運びいただきますよう重ねてお願い申し上げます。