郡上八幡への往復でゆっくり読むことができました |
日月を利用し一泊二日、土取利行さんと桃山春衣さんが25年くらい前に創られた芸能堂、いわゆる御二人の思いが込められた、岐阜県は郡上八幡にある・立光学舎・で行われた、邦楽番外地という音楽会を聴きに行ってきました。
メンバーは9月7日、西大寺観音院に来てくれるメンバーと同じなので、企画者として、何としても事前に聴いておきたかったのです。
お盆まえ、慌ただしくはあったのですが、読みたい本を手に岡山から岐阜は行きも帰りも在来線の旅(私は時代とずれているのもありますが、在来線のゆっくり旅が好きなのです、おまけにお金はかからない、早い遅いと言うだけで時間は一定なのですから)岐阜から郡上八幡はバスを利用しました。
おかげで、ゆっくりと本を読む時間を持つことができました。読んだ本は福岡で石風社という、小さな骨のある本の出版を30年続けておられるHさんが、これまでにあちらこちらに書かれた文章をまとめた本。タイトルは・出版屋(ほんや)の考え休むににたり。
買ったのではなく、著者がわざわざ送ってくださったのだ。一口に30年、このような時代安きに流れず、地方で(この言い方はあまり好きではないがいたしかたない)出版社を持続経営するというのは、生半可な努力で出来るものではない。
なぜ、そのようなことができたのかという事実の重みは本を読んでみて、私なりに得心することができた。著者の一途でぶきっちょな歩みが、やや硬質な文体でつづられている。
無知蒙昧で、なんとか還暦まで生き延びることができ、この20年間息も絶え絶えでなんとか企画を続けてきて、いよいよこれから個人的にいろんな意味で再出発しようとしている私にとっては、まさにグッドタイミングというしかない本に出会うこととなった。これからの私の人生への著者の心使いがしみた。
何事も、機縁、運命、定め、生まれ、出会いと別れの中で誠実に事を成していれば(もちろん能力の中で、過信せず)こその30年なのだという重みが、この本にはある。
それにしても、本を読む(そして自分で考え、動く)ということが、いかほどに大切であるかということ。知るということの重み、の時間を増やすためにも日高事務所で再出発したのだ。
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