書くという行為は、消えつつある中、手で書いている文章をこれからは見つけてゆきたい |
かすかに始発電車の音が聞こえ、夜が明けてきた五時半過ぎ、なにも考えずボーっとしながら、パソコンに向かっている。歳のせいばかりではないようにも思えるのだが、この何とも言えない湿度が高く、温度も高いいわゆる日本の夏に、いささか参っている私の身体である。でも生きているから、何か書きたい。
猛暑の最中、この2カ月週4日働きながら、9月7日の企画イベントに向かっているので、自分で決めたこととはいえ、苦戦しながら、青息吐息の夏を過している。しかし、生来の能天気体質といいますか、後ろを振り返らない性癖は、何とかは死ななきゃ治らないという感じなのです。
21年間、いろんな企画をやってきておりますが、本当に人が来てくれるのだろうかという、言うに言われぬ不安感は、おそらく企画を辞めない限り、私の脳裏から消えることはないでしょう。自分で言うのもなんですが、よくもまあ、なんとか企画が続けられている我が身の幸運を、謙虚に感謝しています。
何度も綱渡りのような企画をしながら、止めないというのは、何故なのかという問いは、今はまだ考えたくはないというのが、正直な気持ちです。やがて身体が企画することを欲しなくなったときに、まだ思考能力があれば、その折にゆっくり考えてもいいし、父親がいろんな思いを胸にしながらも、何も語らず(語れず)、潔くあっけらかんと、あちら側に往かれたように、私もかくありたいという父の血が流れているようです。
こんなことを書くつもりではなかったのに、書いてしまうところが、身体は正直です。さて話は変わり、これからのいかんともしがたい、先の見えない晩年ライフをいかにお金に頼らず生き抜いてゆくかという知恵を、昨年マイコプラズマ肺炎を患い、10日ほど入院し、退院してからおおよそ10カ月私なりに実践しています。
その結果、私はいきいき遊心塾(意気・粋・遊心塾)を始めたのですが(今のところまだ試行錯誤段階ですが、私自身が実に楽しいのです)、自分の身体で、遊ぶというのか、自分に気づくということが(発見する)、面白いのです。
またもや話変わり昨日の午後、冷房もかけず汗をたらし(ガマの油のように)ながら、溜まった新聞を約2時間かけて主に、書評と文化面を中心に読んでいたら、山田稔という作家(82歳)の忘れられたニッポン(あいまいさというエッセイ)という文章に目が引き付けられました。その中に、江戸中期の俳人横井也有(やゆう)の狂歌が引用されていました。
くどふなる・気短になる愚痴になる・思いつくこと皆古ふなる。とありました。
もうひとつ、詩人伊藤新吉の言葉も。
私はこれからは愚痴を大事にしようと思っている。愚痴は人生最後のレジスタンスだからである。こう書いたとき、彼は九十五歳だった。
本物のインテリジェンスがにじみ出るような、何か自分と響き合うような、感性の文章に巡り合うのを、見つけた時はささやかに幸福になる。一円もかからない喜び。
こないだ聴いた土取さんが歌う演歌の中に、あなたこの世に何しに生まれてきたの、というフレーズがありましたが、人生の持ち時間が少なくなるにつれて、この永遠の問いは、今後もやむことなく、私の中でささやきつづけるような気がします。ささやかなくなったら、ブログを書くことも、おそらく無くなるだろうという気がいたします。
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