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2025-11-28

千住真理子さんが、以前出されていた本を3冊読み終え想う、今日の五十鈴川だより。

 昨日で今月の仕事を終え、またもや今日から三連休である。労働をした日はほとんど五十鈴川だよりを打つ気は起きないのだが、休日は何故か打ちたくなる。ほとんど病のような感じである。高齢者の私は、貴重この上無い一日を出来るだけ気持ちよく過ごすのを最優先で生きている。(といっても過言ではない)

畏怖する五木寛之さん、人生の達人であられる大先輩の言葉を借りるなら、白秋期を生きている私には、その日暮らしの充実こそが、もっかの面白き楽しみなのである。今年も余すところ残り一月となったが、一日一日を大事に過ごすだけである。なにも持たない静かな暮らしが、ことのほか気持ちがいい。気障を承知で充足感に浸っている。

たまたま図書館に在りました

11月3日に千住真理子さんの演奏を聴いたことで、なにやら言うに言えない幸福感に包まれたことが、起因しているのはほぼ間違いない。

たまたま、継続する力、という本を手にしたことで、このようなヴァイオリニストの存在していることを知り、演奏会に、わずかに2回しかでかけていないのに、すっかりファンになってしまった喜びが、このような一文を、きょうは打たせている。

苦手な標語、人生100年時代、白秋期は、25年単位で言えば、50歳から75歳にあたるが、ようやくにして白秋期を生きている実感が、千住真理子さんの演奏を聴いた後から、俄に私のなかで湧いてきたきている。

ということで、このようなヴァイオリニストの存在についてもっと知りたく、珍しくネットでいままでに出されているご本をピックアップ、このところ時間帯によって他の本とも並行しながらすでに3冊読み終えたところである。(家族の素晴らしさに打たれた)

簡略に記しておくにとどめる。産まれた環境のあまりにもの相違に、正直最読むのに、戸惑いも感じたのだが、(あまりにもの純粋さに、私のような俗物には)ご自分のヴァイオリンへの愛の深さの、お母さんとの命の往復書簡、お母さんとの対談、と読み進んだ。いずれも図書館で借りた。読み終えて、素直に読んでよかった。

随所に目頭が熱くなるのを押さえることが出来なかった。何故産まれた環境があまりにも異なるのに、その相違を越えて、感動するのかは自分でもわからない。はっきり分かるのは、演奏される音にも、書かれる言葉、お話にも、究極、打ち込んできた継続した者のみが放射する唯一無二の人間性が素晴らしい、と言うことである。打たれる、反応する高齢者の私がいる。

お母さんの(文子さんが凄い、父上も凄い、二人の兄も凄い、皆純粋で凄い)文子さんも、真理子さんもおっしゃっている。ことヴァイオリニストや芸術家ではなくても、普通人として生きているすべての人間に通低ずる大事なことがある、と私は想えた。人生に立ち向かう構え、覚悟の深さである。凡人の私に、玄冬期を生きる勇気や力が湧いてくる。磨かない石は原石のまま、どのような存在も好きなことを磨き続けないと、輝かない。(高齢者もわずかでも可能性を磨きたい、ものだ)

本能的直感、虫の知らせ、第六感、をフル回転し、なんとか今まで生きてこられ、白秋期から玄冬期へと(一瞬先は分からない、故に余計に)私は向かう。私には千住真理子さんの醸し出す音色は一筋の光とさえ想える。縄文土器も同様である。

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