ページ

2025-11-22

千住真理子さんのデュランティの音色は、高齢者の今の私に限りない、希望とエネルギーを降り注ぐ。

 三連休である。ともに仕事をしているkさんから、今年2回目、たくさんの柿をいただいたので(前回は渋柿)、長くお世話になっているかたがた何人かに、送る段取りをほぼやりおえたので気分転換に、五十鈴川だよりを打つ。

色付く日本に生まれて幸せです。

晩秋の日差しが部屋に満ちていて、我が老いた背中を暖めてくれていて、とても気持ちがいい。なんの意味もなく、綴りたくなるのはもはや、ある種の依存性五十鈴川だよりである。たんたんとした、年よりの呟きとはいえない、いつも過剰なくらいの長めの徒然を読んでくださるかたがいるというのは、有難い。

ゆきあたりばったり、思いつくよしなしごとや、日常のささやか細々を、この世の、わがまま、じいさん雑記録として打ちたいという凡脳(煩悩)が健在なのである。幸い妻も娘たち家族も継続してと、応援してくれる。だから打つ。

話は変わるが、今仕事で植え込みの剪定作業を今週から始めている。11月中はお天気のいい日はやるつもりでいる。この仕事を始めてからまる7年やっている。伸びた枝を刈り込む単純な作業である。私は高齢者でもやれる単純な全ての作業が、ことのほか好きになってきている。今私が高齢者となっても継続している仕事は、全部と行っていいほど、若い時には苦手であったのだ。

肉体労働だけではなく、何度もうっているが、本を読むことも文章を書く、打つことも大の苦手であったのである。そんなこんな振り返ると、苦手を克服したときから、あらゆる事が好転し始めたのは間違いない。もしあのとき克服せず、逃げて無難な道を歩んでいたら、確実に現在の私は存在しない。

出雲大社の
銀杏の紅葉

剪定作業に話を戻す。刈り込み前とあとではまったく植え込みは見違える。年に二度春と秋にこの作業を繰り返す。春夏秋冬の肉体労働、この自然の季節の移ろいに添って我が体を動かす事が、今私にとっての一番の健康法である。

健康法を兼ね、高齢者でもゆっくり作業行程を考えられ、とりくめるこの場が与えられたことの幸運を、誰に感謝したらいいのか、とときにおもえるほどである。そういう有難い労働できる環境で、あと何年働ける、動けるかと、時に思う。

だがはっきり五十鈴川だよりに打っておく。今日一日、とにかく自分なりに体を動かす。その事だけに集中する、そのような心もちで、手術後働いている。あっという間に4年が過ぎている。

臆面もなく打つ。大地の上で、高齢者なりに苦楽しながらこの世の今を、限りなく面白可笑しく生きられている現在がいとおしい。三連休、玉ねぎの苗を調達し、休みの間に植えるつもりである。

話は変わる。今年も余すところ40日となった。いつにもまして静かな秋の生活を過ごしている。11月入って、これまでの人生で聴いたこともなかった千住真理子さんの演奏を、立て続けに2回聴いたことが大きい。何か満ちたりた感覚がある。

千住真理子さんのファンになってしまった。それは千住真理子さんの[継続する力]という本を、この秋読んだからである。プロデヴューして50年、半世紀、全身全霊デュランティ、ヴァイオリンの演奏に人生を捧げている。この様なかたが同時代に存在していることに感動する。(是非本を読んで、演奏に触れて欲しい)。猪風来さんご夫婦と分野は違うが共通する。

この本を読まなかったら、まず演奏会にゆくこともなかったし、ファンになることもなかっただろう。あの音色は高齢者の今の私の生活に、限りない豊かさ、生きるエネルギーを与え続ける。剪定作業をしていてもあの演奏会の音色、声、笑顔、たたずまい、オーラがさす、姿が脳裏で甦る。若さ、年齢を超越している。千住真理子さんに出会え幸福な秋である。

0 件のコメント:

コメントを投稿