根付いてきたさつまいも |
がその事について、私は語るべき言葉を持っていない。あえてもっと綴ればまさにいま私が五十鈴川だよりを打っているときも、ガザでは(おそらくガザ以外でも)想像にあまりある困窮に出口なしの人々が存在している、のだ。そして思う。こういった講演会を岡山で企画してくださった方たちがいなければ、私は岡真理さんの悲痛な声を直に聞く機会は、ひょっとするとなかったかもしれない。
一冊の本との出会い。一人の人との出会いで、私の場合だが、いまだ何かが自分のなかでの変容が起こる。その事にひょっとするとなにか、意味を見いだしたい、とでもいったような煩悩感におそわれる。だが、その事に関して安易に打つことは五十鈴川だよりでは気が進まない。
いまはただ、岡真理さんのパレスチナを知る緊急講演会を企画してくださった方がたに、一言感謝をお伝えしたい。
話を変える。6月16日の【マルセを生きる】の私が働いていた中世夢が原の神楽民俗伝承館での公演がまもなくである。今日もこれから高梁まで、とある昔から現在に至るまで私の企画を応援してくださっているM氏に会いにゆく。フライヤーの配布とチケットのお願いにゆくのである。70才で企画者として再出発。フライヤーや当日のスタッフ以外は、ほぼ一人でPR、広報、フライヤー配布、チケット手売り行商に動いている。
老人企画者として、いまはこれが一番しっくりくるのである。ほとんどを数人の仲間で企画運営できる、自分の責任で背負える超ミニライブのような企画。今回のマルセを生きるはその第一弾とも言える企画なのである。マルセ太郎という稀有な芸人と出会えたことで、私は企画者の端くれとして、いまも企画が打ちたくなるいい意味での定期的病のようなものを抱えている。
さて、主に40才から61才まで仕事として中世夢が原で企画者ととして働き、職を辞して12年、よもやまさか再び中世夢が原で企画をすることになろうとは夢にも思わなかったが、事実として実現が近づいてきた。私が40代の駆け出し企画者として、稀代の知る人ぞ知る芸人、マルセ太郎をたまたま企画したという奇縁で、人間として大きな影響を受けたマルセさんの娘である梨花さんが、同じステージにたつのだ。まさに人生は筋書きのないドラマというしかない。
私としては、老骨に無知打つのではなく、老い楽の企画を楽しみたいのである。だから一枚でもチケットを売りに歩き回れるうちは、微力を尽くして当日を迎えたいのである。
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