ページ

2024-05-13

フランコ・ゼフィレリ監督、ロミオとジュリエットを55年ぶりに音読リーディング参加者と共に観て想う、五十鈴川だより。

 昨日、3月23日から始めたシェイクスピア音読リーディング7回目が天神山文化プラザで行われた音読の前に、DVDでのロミオとジュリエットの上映をした。55年前、私が高校生の時に観て大感激したフランコ・ゼフィレリの監督作品である。リーディング参加者5名と共に観た。


私の音読リーディングレッスンに参加してくださっているまれなかたたちに、観てもらいたかったただそれだけである。私のシェイクスピアとの出会い、その後の私の人生の行く末に決定的な影響を与えた作品であり、この年齢になっても未だシェイクスピア作品群の高峰にとらわれ続けている、宮崎の片田舎から言わば世界へ飛び出してゆくきっかけとなった作品を。

2時間の上映が終わり、この年になっても目頭が熱くなった。共に観たリーディング参加者も各々観(感)じいるところがあったようで私は嬉しかった。55年前の作品とは思えないくらい。もちろん当時はインターネットはなく、フィルム時代の作品だが全く古くなく映像が瑞々しい。プロローグのナレーションが素晴らしい。画面にすいこまれる。いきなり、石畳中世ルネッサンスの時代にさ迷いこむ。シェイクスピアの長い台詞を大胆にカット、映像で表現、アップ、ロング、内側外側、多用なカメラワークがにくい。

しかし肝心な劇詩人というしかない、蠱惑的な台詞は随所に。役にピッタシノ俳優たちがガッチリと脇を固める。群衆シーンの構成力は全くすきなく緩急自由自在、そのアンサンブルはたとえようもなく見事である。電気のない時代の夜の暗さ、松明の明かり、昼と夜の対比。端役一人にまで目がゆきとどき全員存在感がある。人間が生き生き存在している。こうでなくては。今観てもスピーディーな無駄のない展開。公爵始め鍛え抜かれた俳優たちの声の力、惚れ惚れする演技力、大航海時代の中世ルネッサンス人たちとはまさにこのような、活気に満ち満ちていたのだろうと思わせるのに充分である。

時代考証に裏ずけられ創られた斬新な各登場人物の衣装に目を奪われる。特にジュリエットの衣装がスバラシイ。そして書かずにはいられない。二ーノ・ロータノ音楽の素晴らしさを。(私は音に弱い)

書いていると随所に名場面が脳裏に浮かぶ。現在(いま)観ても色あせない。名演出家ゼフィレリの手にかかるとかくも、スバラシイ作品としてロミオとジュリエットは観る人によって今も生き返る。そのことの不思議を改めておもい知らされ、何度も目頭があつくなった。

それにしてもなんというスピーディーな劇構造、現代でも全く問題なく通じる人間の言葉、ロミオとジュリエットという娯楽作品のなかに込められた各場面の台詞の素晴らしさ、古典はいつも不死鳥のようによみがえる。

青春のはかなさ、狂気、抑制のきかない、青春の暴走暴力、青春の友情、ライバル、親子大人の無理解と断絶、憎しみの連鎖の愚かさ。今の時代にも余すところなく通ずる本質的な諸問題が見事に描かれている。映像を見終え、約一時間一幕途中まで音読リーディング。

レッスンを終え、私は参加者5名を我が家に誘った。私よりひとつ年下で参加しているS氏がちょっと遅れてのり巻き持参で参加、レッスンを終え空腹だったS氏よりずっと若い参加者たちが喜んだこときちんと打っておく。やはり年の功と思いやる余裕のなせることである。夕刻、我が家のリビングで、つかの間老若男女の歓談の花が我が家のバラのように咲いた。

PS DVDの映写に関して、音読のフライヤーを創ってくださったN氏が手際よくこなしてくれた。この場を借りて感謝します。そして最後に映画の終わりの公爵の台詞、自分自身が両家の争いを見て見ぬふりをしていたと語るシーン。自身を含め全員に罪があるとの言葉、高校生の時にはまったく記憶に残らなかったのだが、今回、今の時代この言葉が強く耳に残る。

0 件のコメント:

コメントを投稿