起きたら雨は上がっていた。昨日は妻と二人で家の金柑を収穫したあと、バイト先の長いことほったらかしていた菜園場を耕し雑草を抜き、トマトを3本植えた。おおよそ2時間一人で体を動かし、久しぶりに鍬を使って土をならした。鍬がふるえなくなったらわずかな面積の菜園場であれたいぎになる。そういう意味では楽しく作業ができるいまが、楽しい。GWは土と戯れ、家で静かに本を読んですごそうかと考えている。
金柑を・ほうばる春が・すぎてゆく |
話を変える。多嘉良カナさんを終えた翌日。わざわざ宮崎のわがふるさと門川から、多嘉良さんのわが企画に駆けつけて来てくれた兄の希望で、中世夢が原を案内した。着いたのが午前10時前、開園当初から共に働き、今は園長を勤めているMさんがわざわざ同行して、兄に園内を説明してくださった。
激変する時代の最中、私が中世夢が原を退職して後ほぼ10年、数少ないスタッフで園内の景観を守っているその事に、感じ入った。なにゆえに兄が中世夢が原を観に行きたいと突然言い出したのかは知るよしもないが、私としては兄が中世夢が原を訪ねたいといってくれたことがとても嬉しかった。
西大寺の家を出て美星町まで兄と二人でドライブ、(往復車中よく語らった)中世夢が原を散策した後、美星町で22年間イベントを企画していたときに、打ち上げなどのお接待で大変お世話になったNさん宅にお邪魔してお茶をいただき、私を採用してくださった初代園長Kさんにもご挨拶をして美星町をあとにした。
兄とは中世夢が原で記念撮影をした。私としてはつかの間ではあれ、よもやこのような晩年の兄との時間が中世夢が原で叶うとは予想だにしなかったので、ひとしおの感慨が押し寄せた。
帰路、矢掛の古い街並みで一休みし、昼食を二人で食べた(酢豚定食)。美味しくてワカメと卵のスープをおかわりした。午後3時すぎ岡山市内に戻り、古い市内の銭湯につかり、のんびりスチームサウナ、まだ時間があったのでわがバイト先を案内した。仲良しのT先輩、(兄とほぼ同じ年】を紹介した。
家に戻ったのが5時、少しやすんで、妻と3人で車で10分の近所のお気に入りの焼き肉やさんに行き夕飯。岡山で3人で夕飯なんて初めてである。多嘉良カナさんの能楽堂ホール公演を無事に終えたことを祝し、3人での再会を祝し、妻はノンアルコールビール、私と兄はビールで乾杯をした。滅多にないことなので、5種類のお肉をいただいた。美味しかった。
妻が兄を自然にもてなしてくれた。土曜日夜、私は多嘉良カナさんたちと夕飯をしていたのだが、兄と妻は二人で外食をしたそうである。火曜日午前9時過ぎの赤穂線で帰路につく兄を妻と二人で西大寺駅まで送っていった。夕刻、お礼のメールが兄からきた。義理の姉からも妻にメールがきた。記憶に残る兄との時間が過ごせた。企画して本当によかった。