木の芽時は精神がなかなか穏やかにならない季節だと言われる。激変する自然界のオーラをわが体も浴びて、冬の体から春の体へと移行しつつあるのだと想う。そしてあの冬の寒さもあっという間に忘れて、季節に順応してしまうのだろう。
忘れるから生きてゆけるのだし、また語弊を恐れずに打てば、忘れないと生きて行けない。だが、いささか矛盾するが、絶対に忘れられないことが在るからこそ、そこにしがみついて、記憶の淵に沈んだ思いを、繰り返し再想像、あるいは再物語化して、現実を生きてゆくバネを私などは養っているのかもしれない。
さて、いよいよ4月23日まであと10日となった。チケットの動きは友人知人関係を除けば、目立った反応は今のところ静かであるものの、ポツリポツリ遠方からお電話がある。多嘉良カナさんのファンの方である。
わたしの心は穏やかである。自分なりにやれることはやったという、どこか潔い諦めにもにた自己満足感覚が体のなかにあるし、こういう熱い多嘉良カナファンが足を能楽堂ホールに来てくださる。企画者冥利である。
企画者として多くのかたに来ていただきたいのは当たり前だが、考えると、あまねく知られていないアーティストである多嘉良カナさんだが、これだけのチケットが、私の友人知人が多いとはいえ岡山で動いていることに、私としてはどこかで安堵している、のだ。昨日も広島からゆきたいというお電話をいただいた。届く人には届き足を運んでくださるのである。
仕事として企画しているのではなく、まったくの楽しみとして企画が、岡山の中心地能楽堂ホールで実現するというただ一点でどこか満足なのである。道楽という言葉はどこかあまりいいイメージを持たないように思えるが、春、能楽堂ホールで昨年に続いて企画することができるなどということは考えもしなかったが、まさに古稀を迎え2年連続で能楽堂ホールでの企画が実現するとは。
本当に人生は何が起こるか、計り知れないほどに未知である。RSKの能楽堂ホールがもしなかったら、多嘉良カナさんの企画は実現しなかったろう。能楽堂ホールがあったからこそ、ここに多嘉良カナさんをお招きしたいと願ったのである。当日こられたかたが多嘉良カナさんのパフォーマンスを楽しんでもらえたら、いうことなしなのである。
母の家に咲いていたフリージア |
話を変える。だが、一昨日RSKの天神9女性のK部長(昨年出会ってからのお付き合い)にお会いし、集客のことを話すと、デジタルでチケット販売する、っと昨日からわたしの及ばない方法でカバーしてくださるべく動いて(仕事ではないのに)くださっている。
昨日夕方お電話いただき、丸投げ、お任せした。思わぬ展開。あと10日、当日如何様になっても私のなかではあきらめがついている。ただ私が感動し嬉しいのは、K部長の諦めない優しさである。ベストを尽くす用意周到さ、仕事に対する真摯さ。能楽堂ホールスタッフは側面的に非力な時代にそぐわない企画者をバックアップしてくれる。(次回はもっと事前にゆっくりご相談します)
私が企画賀したくなるのは、(できるのは)能楽堂ホールスタッフの爽やかな情熱の無償の応援があるからである。
松田龍太郎です。K部長とは、講演終了後に少し日髙さんとのやり取りを垣間を見させていただいた(約30秒)。話の骨子を瞬時に理解され、また変更にも素早く対応されそのスマートな対応として常に笑顔をしておられた。スタッフとして講演の大成功の一助であったかもしれませんが、それに関わられた幸福感があったかもしれません。
返信削除またスタッフの技術の方が、Tさんに声を掛けられた時「遊ばしてもらいました」と満面の笑みを見た。また、Tさんも「遊んでもらいました」と感謝と満足感の一瞬の会話も立ち会うことができました。そばにいた私も嬉しくなるほどでした。それほど、カナさんの舞台が素敵だったことだと思います。この機会に立ち会うことができたことを感謝します。