多嘉良カナさんの能楽堂ホール公演を終えて、丸6日が過ぎた。観に来てくれた兄を火曜日に見送り、水曜日から肉体労働バイトに復帰し、昨日まで丸3日ただただ天のしたで体を動かした。ただ働きぐったり疲れて夜は眠った。
すでに今年の3分の一が過ぎようとしているが、成し遂げたというと自己肯定感、それからの解放感が余韻として、幸せな疲労感みたいなものが続いている。おそらく70才で多嘉良カナさんと出会い、企画がなしえたことは、今後を生きて行く上で、ずっと私のなかでひとつのエポックとなる、気がしている。
18才から、ふがいない自分を叱咤激励、時代の荒波に揉まれながら、虚弱体質のわが体を運び、目標を立て(貝谷芸術学院、英国自費留学、文学座養成所、シェイクスピアシアター、富良野塾など)それぞれの時間経験を積み、自分の弱点を見つめ、薄い皮をめくるかのように少しずつ鍛え自信を重ね、40才で中世夢がに採用され企画者になり、企画する度に学びながら、なんとか古稀までたどり着いて、出逢えたのが多嘉良カナさんではないかと、物語かしたくなる。
また新しい地平にたどり着けたかのような感覚がわが体に満ちている。この先も終わりのない未知の世界が、困難が待ち構えているのだろうと想うが、70代を生き抜いてゆく覚悟が、この企画をなしたことで深まっている。
野暮なことは打ちたくはない、勇気をもって困難な面白い道を見つけたいといまは思っている、とだけ打っておこう。
妻のいけた花 |
それほどまでに、あのご年齢での、多嘉良カナさんの今をいきる存在感の輝き、笑顔、謙虚さは、一朝一夕ではなし得ない修練の賜物の崇高さ満ちていて、私に生きるエネルギーを与える。
企画者の端くれとして、よくもまあ実現したものと、我が身の軽薄な大胆さに、どこかすくむおおもいもしていたのも事実である。
一旦やると決めたからにはやるだけなのである。これを実現すれば、きっと何かが我が身に微笑むとの直感は、臆面もなく打とう。当たったのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿