これからの写真はすべて彼女の写真です |
写真塾生の芳原佳代予子さん |
9月26日日曜日、午後2時から、シェイクスピア音読自在塾のレッスンが始まり5時に無事にレッスンを終えることができた。すべては一から始まる、この事実を先ずはきちんと打っておきたい。
塾生はひとりKさんのみ、私には十分である。第一回のテキストは【オセロ】である。kさんが読んでいない作品を、ということで二人で決めた。他者がいてレッスンをするのは閉塾以来だから、お互い一年半ぶりである。
我が家のリビングルームはかなりの広さがあるので、コロナ渦中十分な距離
を取り換気をし、椅子やテーブルの位置を変え顔は横向きで緩やかにスタート、登場人物のほとんどを交互に音読していった。ただデズデモーナだけはずっとKさんにおんどくしてもらった。
結果は、私がくどくどと打つことは控えるが、これ以上は望めない形でのスタートが切れたのではないかと 思っている。最初がとにかく肝心なのは言うまでもない。途中何度か休憩をはさみ、5時までの時間があっという間にながれ、何とか3幕に入ったところまで音読することができた。
お互い一年半も音読していない、特に私は手術入院後は、ほとんど音読していなかったので、内心不安がなかったといえばうそになるが、やはり体は以前の音読リズムを記憶していて、努めて無心で日本語の文字を追い音読し始めると、勝手に体が時折自在に反応してくれ、Kさんとのやり取りがスムーズに進んだ。
Kさんも、初見での素読に必死で挑む。多彩な登場人物の言葉を、肉体に取り込みながら、瞬時に音にしてはいてゆく繰り返し、考えている暇はない。瞬く間に時が流れた。お互いが今を生きている感覚を共有しながら、手ごたえを感じながらのレッスンを、無事に終えることができた喜びを、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
これは謙遜でも何でもなく、わたくしごときのわがままな私塾に、まして時代とはずれまくっている初老男の塾に、Kさんはよくよく考えて飛び込んできてくれたのだから、私としてはただただ微力を尽くす覚悟しかないのである。
考えに考えたら、あとはアクション、犀を投げ転がる方向に、自転してゆくのみなのである。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、とは私のこれまでをどこかで支えてきた言葉である。
ヒトは安きに流れる。(私のことである)私がこれまで憧れたり、畏敬してきた、今も畏敬している方々は、安きに流れない方たちである。わたしに多大な影響をあたえつづけている方々たちの面影を浮かべながら、小さき塾なれど、その方々から無言のエネルギーをいただきながら、Kさんと共に今生きている自らの存在を確認し、お互いコトバを発し合い、こころをキャッチボール、自在な塾の根を張りたいと、しばし老いは禁句、細身の体に言霊の霊力を浴びたいと思うのである。