残暑が厳しい夏の終わり、8月末の休日を、昨日今日と家の中で過ごしている。次女のお世話で上京し、岡山に戻ってからは酷暑の中、すぐに肉体労働に午前中だけとはいえ、復帰したがために目を通していない新聞が、10日余りたまっていて、昨日今日と、じっくりと目を通していたからである。
それにしても、米軍がアフガニスタンから、撤収作業を進める中、こうも早くタリバン政権が樹立するとは、想像だにできない出来事のように思えるが、歴史は常に予測を破り展開する。
地獄の修羅場、とても他人ごととは私には思えない。私の人生を変えたとまではいわないが、大きな高校生の時の映像、ベトナム戦争、サイゴン陥落、米軍が撤退する映像とダブル。うつのがむなしいほどに世界の流血はとどまることをしない。(そのような歴史的な大転換期、わが孫葉(よう)君はこの世に生を受けた)
流血は流血を呼ぶ、けっしてやまない。きっとアメリカ兵がいる限り、テロは終わらないのでは、と思える。遠い島国の一人の老凡夫には 、想像の及ばぬ展開のあれやこれやの、軽佻浮薄な憶測をこれ以上打つことは、無知のそしり、控える。ただただ、命の報道のあまりの軽さには、耳をふさぎたくなる。(無関心は巡り巡って我が身にも起こりうるという、最低限の想像力を失いたくない)
したがって、自分の感覚が麻痺しないように、信頼に足る方の情報に耳を傾ける程度で、切りとられ、編集された映像の繰り返し、一方的な、どこか茶番的な報道には、懐疑的な私である。
それは購読している新聞にも言える、が、その新聞に藤原辰史(京都大准教授、人間・環境学研究科博士)氏が、8月26日、タリバンのアフガン制圧、大国の物語に乗るな、という冷静な発言記事が目に留まり、切り抜き読んだ。
長くなるので、五十鈴川だよりに簡略に打っておきたいのだが、藤原氏は中村哲先生がお書きになった、【医者、用水路を拓く】を引用し、今起こっている問題の核心を限られた紙幅で分析しておられる。
50歳目前、中村哲先生の著作に触れ、目から鱗が落ちるかのように、アフガニスタンの国難の数々の歴史、地政学的な国土の複雑さ、また女性の置かれている立場への、西側諸国の一面的な(ただ女性が虐げられ、学ぶ権利が奪われている等の)理解の浅さにも、わずかではあるが気づかされた。
もし、中村哲先生の御本を読むことがなかったら、単細胞の私など、すぐにタリバンは テロ集団である、と短絡的に刷り込まれてしまうのではないか、と危惧する。ことはそうはあらゆることが単純ではない。一筋縄では解けない、何十二も重ねられた、血塗られた歴史の怨嗟が、底知れぬほどにとぐろを巻いているのである。
(私は中村哲先生の本を読んだことがないヒトとは、アフガニスタンについては語り合う気がおきない)
いつものように話を変えるのは、とてもではないがこのコロナ渦中の今、多方向から多面的にに日々報じられる世界的出来事、起こっていることを、冷静に受け止め、記し、打つほどの咀嚼力は凡夫の能力を超えて余りある。
だから、余りある出来事、手に余ることには沈黙をもって代えるしか精神の安定を保つしかないのである。だがそれは無関心では決してないのだということは、はっきりと打っておきたい。幸い、私には場所があり、小さなサンショウウオのようにじっとしていながら、デジタルのおかげで発言できる。在り難いことだ。
私の真夏暑さ対策、コロナ対策、熱中症対策の一つは、何かに熱中する時間を持つことである。コロナ以前もうほとんど辞めていた、新聞の目に留まった記事を切り抜く作業、姿勢を正ししっかりと読むために、このコロナ渦中、熟読したのち、使い古しのノートに切り抜いて貼りつけたり、ファイルししまい込んだ。(いつの日にか孫たちに読んでもらいたい)
昨日と今朝で、30以上は切り抜いたのではないか。以前は文化的な記事の切り抜きが多かったのだが、近代史の記事(加藤陽子先生の近代史の扉)戦争孤児の記事、引揚体験者の記事、原爆を伝える方の記事、戦争体験の継承に関する記事、オリンピック後に関する記事、小さな人間の素晴らしさを伝える個人、庶民の記事、私が青春時代影響を受けた方の訃報記事(例えば最近では状況劇場のヒロイン、李麗仙、声が耳に焼き付いている)、60年代70年代の演劇を研究している方の記事、等々を。
我ながら、なぜこんなことをしているのかは、わからない。が敢えて打てば、死者たちの声に耳を傾ける訓練を続けることが、今の私にはどうしても必要だからである。(いまを感謝し良く生きるために)
気が付くと、時間は過ぎている。いかに生きるのか、生きないのか。夜明け前の半月を眺めながら、虫の音を聴く。
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