8月22日午後、8泊9日、次女の初孫のお世話を済ませ帰ってきた。最後の1日は長女のところで過ごし、二人の娘たち家族と、このコロナの猛威が今もやまない中、久方ぶりの再会時間が過ごせたことは、私にとっては極めて個人的に在り難いというほかなかった。
わずかではあれ、滞在期間でのつれづれを、記憶が風化しないうちにわずかではあれ打っておきたい。
次女は東京都三鷹市下連雀のマンションにすんでいる。私にとっての二人目の孫のお世話、次女の産後のケアのために駆けつけたのである。上京するに際して、男親の私にやれることは妻と違って限られるのではとの、懸念がなかったといえばうそになるが、想像以上にいろんなことがやれ、愉しい時間が次女家族と私の間で送れたことに関して、ちょっと驚いている。
それがなぜなのかは、私にもよくわからないし、私が過ごした生活の中でできたことのあれやこれやを、つまびらかに打つことは控えたい。なぜならなんだか自慢話的になりそうで、打つのが気が進まないのだ。
だが後年孫が大ききなり、よもや五十鈴川だよりを読んだりすることが、あるやもしれないし、ほんの少しでも打っておきたいという、おじじの絶対矛盾的おもい、お許しください。
私のやれたことに関しては義理の息子、娘たちの記憶に残ってくれただろうから、いちいち打たなくても、後年孫(葉、よう)君に伝えてくれると思う。私が一番うれしく、お世話に出掛けてよかったことは、ほぼまるまる1週間、葉君を中心にして娘と義理の息子と4人での生活が極めてスムーズにできたことの喜びは何としても打っておきたい。一言愉しい1週間が送れたことの喜び。コロナや大雨で暗いニュースが多い中、親子間の笑顔が絶えなかったこと、あらためて家族の極めて当たり前、普通のつつましい暮らしの大事を痛感した。
3食毎日食事を共にしたのは、義理の息子とは初めてのことだったし、月曜日を除いては毎日家でのリモートワークのなかで、若い夫婦が助け合い、気持ちよく葉君のお世話をしながら子育てしている姿に、私は感動した。
だからなのだろう、私もお手伝いができる喜びが深まり、古希目前にして新たな役に立つおじじの可能性の自覚が一段と芽生えてきたのである。親ばかを承知で打っておきたい、娘の結婚してからの変貌ぶり、生活力、母親としての自覚の自立ぶりにも驚かされた。(それは全く長女にも言える)親子という関係性ではあれど、もう立派に自立し家庭を持ち生きている一人の女性であることをあらためて認識した。
そして想う。いろんな意味で心に余裕のある今の私だからこそ、タイミングよくお世話ができたのだと何かに感謝する。ルーティン生活のなか、充実した意外性に満ちた、面白い束の間の生活が送れたことは、逆説めくが、コロナ渦中であったからともいえないこともない。不自由の中での自由をいかに愉しみ作り出すかは、各自の心かけ次第である。
リモートワークでなかったら、3食語り合い時間は持てなかったかもしれない。新しい命との限られた空間の中での自粛生活をいかに楽しみ生きるか。試練は人を鍛える。逃げてはならない。
ひとつ釜の飯を食うと昔から言う、わずか1週間であれ義理の息子の性格の素晴らしさ、意外な面を目の当たりにして、娘の伴侶のかいがいしさに私は打たれ、葉君家族の役に立てるように、1日1日私がやれそうなこと、若夫婦にしてほしいことを遠慮なく伝え、何とか実行することができたことの老いの喜び、きちんと打っておきたい。
最後の日のお別れ晩餐の後、二人から感謝の一文をもらった、感動した。いちにちいちにち、葉君は 成長を続ける。親は献身的に見守り育てる。今日で生後ひと月である。
(次女のところに7泊、最後の日は稲城の長女のところに、泊まった。そのことについてはまた打ちたい)
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