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2021-08-14

コロナウイルスデルタ株が猛威を振るうパンデミック渦中、孫に会いに上京する朝に想う。

 今日から一週間、次女の初めての男の子の顔を見に上京する。先週妻は10日間いっていた。今度は交代で私というわけである。 

時は折しも、コロナウイルスデルタ株の猛威が、加速度的に増え続けている渦中の上京ということになる。他県をまたいでの移動自粛、人流を5割減らそうとのメディア報道、不要不急の外出をさけてほしいとの、声も耳には届いているが、この一年半の間長女の孫にも会うのを控えてきたが、今回は覚悟を決めて上京することにした。

今年3月のコロナ生活渦中での、3回にわたる手術入院で、大いなる反省自省的生活を今も送っている。性格は変わらないにもせよ、生活を根本的に見直すことを。おおよそ50年間アルコールを口にしなかったことがない(もともとアルコールに強い体質でもないのに)かのような日々に突然別れを告げ、もうすぐ半年近くなる。

50年近く続けていた生活習慣を突然断ち切ることができたのは、身体の奥深いところからの悲鳴の聲をあたえられたからだと思える。ヒトの考えは各人まったくといっていいほど、異なる。健康を取り戻し、医者から飲んでもいいと許可が出たら飲む人だっているだろうが、私の場合は、命の不思議、有難さをいやというほど味わい、考えさせられたので、今後はアルコール抜きの生活を実践し、どのように自分自身が変化するのかしないのかを、見極めたいのである。

哲学者の池田晶子さんのコトバがある。ヒトが死ぬのは病気のためではないと。生まれてきたから人は死ぬのであると。これが宇宙の定理、摂理であると。哲女(ごめんなさい)の研ぎ澄まされた本質的な思考のコトバは、あらゆる現代社会に跳梁跋扈する、欺瞞性に満ちた言説に、敢然と矢を放つ。

その命がけの思考が放つ、ある種の覚悟を決めた言葉は、すがすがしくも清冽で潔い。だからなのだろう。少数の根強い読者が、彼女の死後もロングセラーとして、読まれ続けるのは。

池田晶子さんはお酒が大好きであったと聞く。酒豪であったと。お酒をスピリッツというが、飲んでますます思考がさえ研ぎ澄まされ、哲女は飲んで崩れることはなく、何よりもひとり酒で、この世から消えるまで鉛筆とノートを傍に置き、生と死についての存在論的迷宮思考を続けたという。あっぱれな人生というほかはない。

だから彼女は、まったくといっていいほど死を恐れた形跡が遺された言葉からは皆目見当たらない。もっと打てば、死を超越して哲学思考を重ねコトバを遺したのだと。畏怖するほかはない。

何を私は考えているのかおぼつかないが、要はお酒を飲もうが飲まなかろうが、産まれてきた以上は、覚悟をもって生きよと、哲女は伝えているかのように私には思える。


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