娘たちの旦那さん二人からも、ラインで私の晩年ライフを祝うメールが届き、これがまた私にはうれしかった。そして夜、本当に久しぶりに 夫婦二人で外食、妻がご馳走してくれた。
妻とは物のやり取りはしなくなった。お互いほしいものがほとんどなくなってきたからである 。ただ元気な間は外食し、お互いがおごるということくらいのシンプルな取り決めをしている。お互いが健康で生誕日を確認し合えるだけで十分である。
昔、永六輔さんが誕生日は生んでくれた母に感謝する日である、との一文を読んだ記憶がある。まさに然りである。日本の歴史始まって以来の、この数十年の未曾有うの物質的な豊かさを謳歌してきた日本人の暮らし。
果てに、日本人が健康で豊かで文化的な生活を個々人営んでいるのかは神のみぞ知る。奢れるものは久しからずである。私はこのところ、いろいろと反省、自省し、足るを知る暮らしをできる限りやれる範囲でやろうと心がけている。(言うは易しであるが)
とくに65歳の誕生日から弓を始めてのこの3年間は、自分でいうのもなんだが、宮崎にお墓参りに帰るのと、小さな旅をするくらいで静かで充足した初老ライフを過ごしている。
何しろ毎年、初めて経験する老いゆく時間を生きているわけで、この老いてゆくスリリングな時間を可能なら、こうやって五十鈴川だよりを書きながらトボトボ、だが新鮮に下って往きたいのである。(言うは易しであるが)
このところ素晴らしい本につぎつぎと出合う |
話は変わる。先日野村克也監督がお亡くなりになった。たまたまクローズアップ現代で生前最後の半年を追った映像を見た。
いろんな感慨が私の中に湧いてきて、今もその余韻が残っている。監督がおっしゃっていたが、私の人生を奮い立たせたのはコンプレックスであると。
比較するのもおこがましいが、18歳で世の中に出た井の中の蛙が、今現在こうやって家族を持て、生きていられるのはやはりコンプレックスなのではないかという気がする。可愛いささやかなコンプレックスなのだが。
思春期の屈辱、おもいでをばねにして、今もささやかに踏ん張っているのではないかというのが、正直な気持ちである。もしもっとこの先生きることができ、シェイクスピア作品が声に出せなくなってきた時、肩の力が抜けて10代、20代のあのお恥ずかしくも、赤裸々なまぶしい青少年時代の いっときがつづれるかもしれない。でも今はまだ恥ずかしくとても書けるものではない。私は老いつつもいまだ青いのである。
またもや野村監督の話に戻る。ある面見事な一生、生の終え方、でも悲哀感はぬぐえなかった。功成りて万骨枯るという言葉が浮かんだ。凡人の私は想う、考える。死は思い通りにはゆかない。ならないものを考えるのは愚かである。現時点で私が思うのは、死のことは考えるな、今日をいかに生きるのか、そのことに一意専心する。死は万人に等しくやってくる、ささやかでいい、いかに生きるかだ。
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