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2020-02-11

コロナウイルスの新型肺炎の猛威は何を暗示しているのか不気味である。

コロナ新型肺炎がいよいよ不気味さを増してきつつある。何とか終息に向かうように祈らずにはいられない。人間には共感力や、想像力というものが備わっているので、船やホテルなどに閉じ込められている方々のことをおもうと、この件に関して五十鈴川だよりで書くことは控えたい。

もし身内や家族があのような情況に閉じ込められたら、想像するだに 恐ろしくにわかに自分もパニック化してしまうだろう。それにしても、予断を許さないというか、とてつもない時代の始まりを、一庶民の私はいやでも感じてしまう。

この数十年のグローバル化の上に連鎖のように、引きも切らず発生する新手の変異ウイルスが、人類社会の倦むことを知らない傲慢さの上に、起因するものではないことを祈るのみである。

南極大陸での温度の急上昇、今週末は2月では考えられないほどの気温が予想されている。プラスチックのごみ、森林火災、映像を見るのが嫌になるほどの、むき出しの地球の傷んだ姿、人体に例えればあちこちが無残に傷つきながら、かろうじて息をしているのでは、といった体である。

猛暑の夏、特にアウトドアの競技、見る方も選手も大変である。東京湾の汚い海を泳いで金メダルを目指す選手たちには同情を禁じ得ない。そもそも今回の夏のオリンピックに関しては、一個人としては若干のアスリートに関しての関心があるくらいで、あまりに派手に肥大化する商業主義演出が(放映権ほかの利害が絡む)蔓延する 一大イベントには、私は懐疑的である。国を挙げて金メダルの数を競うなど、まったく関心がない。人間の存在感、アスリートの人間性、研ぎ澄まされた精神と肉体の素晴らしさをこそ堪能させてもらいたいだけである。

2月5日の新聞で見つけた記事
このようなことをつらつらいくら書いてもごまめの歯ぎしりの域を出ないのは、承知だが、ごまめはごまめなりに、書くことで自己セラピーをするしかない。

コロナウイルスの新型肺炎が、欲望の塊の資本主義時代の終焉を告げているのではないか、との気さえしてしまう。

自国ファーストなどといってはいられない(全人類のこれまでの歴史的な英知を結集しないととの危惧を持つ)ほどの、全地球的人類死活問題の始まりではないことを、ささやかに五十鈴川だよりを綴りながら 祈らずにはいられない。限界は承知の上でわずかではあれ、我が身のこととして想像する力を老いたとはいえなくしてはならない。

経済優先至上主義は、暗澹たる多大な負の面(もちろんいい面もある)の肥大化を未来にもたらしてきた。その行き先の見えないつけが世界を鵺のように覆っている。このかけがえのない水の惑星の持続的な循環型未来の在り様モデルをこそ描ける、若い実践力のある未来哲学を持った、経済企業人、政治家、そして最も私がのぞむのは安全な食べ物を作る農(脳)人の出現を私は心から望む。

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