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2020-02-12

命ははどこから来たか、最もかけがえにないものは何か、夜明け前粛然考え想う朝

気が滅入るニュースがひきも切らない。コロナウイルス新型肺炎により、多くの工場他が稼働できなくなり、経済的な打撃ニュースが世界をおおい、おかねにたよらざるを得ない、この世界の構造が人類にに与える心理的な社会不安は計り知れないものがある。

いつも思うことだが、備えあれば患いなしという言葉があるが、それが通用しないこのようなまったく予断を許さない、処方箋ががなく、対策に手間取っている時間の長さは関係者にとって気が遠くなるほどのものだろう。

自分がそのような当事者ではないからこそ、このように五十鈴川だよりが書けるのである。だが敢えてこのようにつづれるときににつづらないといかんという気もする。

前例のない、得体のしれない、病原菌の発生はペスト他、過去にもたくさんあった に違いない。これほど瞬時に情報が伝わらない時代であったから、さほどの困難にも動ぜず、病原菌の及ばない国々の人々は、ごく普通の暮らしができていたのだろう。(でも人類は乗り越えてきた)

だが現代は全く異なる。情報というものはある面恐ろしい。流言飛語にいかに人間が弱い存在であるのかは、人類の歴史が証明している。私は最低のデジタル機器にしか触れない、初老アナログおじじである。いたずらに不安を覚えるような情報にはあえて触れないようにしている。(あえて明るい心が上向く本を手に静かに手にして過ごす)

写真をアップするのは2度目、素晴らしい本に出合えた
このようないまだ対処の方法がきちんと解らないウイルスに対して、おそらく全世界の心ある科学者が敢然と立ち向かっているのを信じ、今は待つほかはない。

経済が減速しようが、何とか食えればいい、国籍など関係ない、まずは命、家族の命の安息を迎えることができる日が、一日でも早く来ることを望むしかないではないか。

いつも思う、切迫した状況に自分がなったらどうなるのかは、なってみないと分からない。当事者ではないからこのようなことが書けるのを承知であえて書くのだが、命ほど大切なものはなく、ヒトは肉であれ野菜であれ、命を食べ命を日々生きのびる。今日あ在る、居ることの感謝だ。

繰り返し書く、歳を重ね毎年命時間が短くなるにつけ思うことは、命ほど大切なものはこの世には存在せず、命はいただいたものであり、自分で作ったものではないという、粛然たる事実である。自分の思い通りにはならなく、またはしてはならないものである。

いたずらに不安を覚えるような、情報には距離を置き、できる限り静かに穏やかに暮らせられるようにるように、付和雷同 せず、明るい話題を探しながら終息待つこと以外にない。

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