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2017-12-03

娘の再出発、師走の朝に思う。

朝が来た。夢が原退職後は、日中のほとんどを家族と共に過ごすように心かけているのは、すでにご存じだと思う。
笹の根でつくったリース、飾りつけは妻。

実は下の娘が、思うことがあるらしく転職し、来年2月から東京暮らしを始めることになり、いよいよ来年からは妻と二人きりの暮らしが始まることになった。

母は今のところまだひとり暮らしを続けるとのことなので、まあそういうことになる。こうやって人生は過ぎ、廻ってゆきすべては移り変わる。摂理である。

娘には、悔いのないように生きてほしい。運命は自分の足で切り開いてゆくほかはないのであるから、親としては、ただただそっと見守るほかはないと、妻も私も娘の選択を応援する覚悟を決めた。

何かをあきらめ、何かを選択するほかに人生には道はないのであるから。いまだ若輩の私が言うのもなんだが、あれやこれやと、私も18歳から迷える子羊で今に至っているが、紆余曲折を経ながら、道は一本つながっているのである。

何はともあれ、逡巡を繰り返しながらも、ヒトと出合い助けられ、生き延びてきたのだから今はただ、運を天に感謝しありがたいというほかはない。娘も自分の足で地面を踏みしめ、広い世界の人と出会い、世間の風を浴び何かをつかむしかない。

だからあと数か月の家族時間を、今日も全員で過ごす予定である。私が18歳の時の山田洋二監督作品に家族というフィルムがある。思えば時代の行く末を家族の姿を通して見つめたフィルムであったのだと、思い知る。

これも妻が、体調が良くなり妻はてきぱきあれやこれや師走している。

当時風太郎の私は、よもや自分が家族を持てるなどとは、想像だにできなかったが、30歳を過ぎてから落ち着きたくなり、そんな矢先に現在の伴侶と出会い、家族が持てた。

現代社会の中での家族の在り様は、私の子供のころの家族観とは、まったくもって変容してしまったかのような、索漠としてきつつある感が否めない。(当たり前だが、家族は過酷な時代の影響をもろに浴びる。家族とは永久の普遍的テーマである)

私はそのような時代の趨勢には背を向けて、自分の中に何とはなしにある自分の親が示してきた姿にすがって、子育てをしてきたが、何とか二人が無事に巣立ってくれ、ただただほっとしているというのが、本音である。

子供が親にしてくれたのである。娘二人には本当に感謝している。世間は一気に師走モードである。その喧騒をしり目に、時間を見つけて来週あたり、帰省したくなった。お墓参りに帰りたく思っている。

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