前回のブログで書いたが、年内にお墓参りができたことで、なにゃら私の中に、いい感じで歳が越せそうなゆとりのような落ち着きが生まれている。
誰もいないこれほどのゆず湯につかったのは初めて |
自分がなぜこうもふるさとの空気を吸わないと落ち着かないのかは、自分でもよくはわからないのだが、今の私には自己分析している余裕はない。
だが、この数十年必ず年に数回は必ず帰る私を、兄夫婦や姉夫婦の暖かく迎えてくれる存在があるからだということは、この五十鈴川だよりに、きちんと書いておかねばならない。
当たり前のことだが、この数年の帰省で感じるのは、私も含め兄たちや姉も随分と歳を重ねた事実である。今回も兄二人夫婦、姉夫婦私の7人で金曜日の夜ささやかに夕食会をすることができた。
このようなことは初めてなのだが、その席で私は、これからは毎回これが最後の帰省との気持ちで帰ってくるつもりなので、どうかよろしくとだけ伝えた。
みんな各々うなずいてくれた。私が65歳で一番若くあとは年上、70歳代が3人、一番年上の義兄が75歳。有難いことに皆さん元気で冗談が言えるくらいの健康体であるからこそできる夕食会である。
やがては叶わぬ人生時間の訪れを、厳粛に受け止めるためにも、良き思い出の数々を脳裡に刻みたいとのわが想いの深まりは深まるばかりである。
ところで都市部のあまりの風景の変容に背を向け、着いた日と金曜日私と長兄二人で宮崎探訪山間部ドライブに出かけた。
私以外誰のいなかった |
金曜日は行ったことのない、門川から3時間近くかかる、西米良村というところの温泉に出かけたのだが、透明度抜群の一ノ瀬川のそばの素晴らしい温泉にゆくことができた。
ふるさとの大小含めた、透明度抜群の河川の美しさは、未来永劫残したい普遍の宝である。あの川を眺め、可能ならつかりたいという、私の欲求は老いても変わらない。だから私の体は、故郷に向かうのだ。
来年春、私に孫が授かったら、いつの日にか孫と共に五十鈴川を含めた 川巡りをしたいとの夢は膨らむのである。故郷の海山川に先祖返りするのである。
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