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2017-12-02

師走二日、朝の五十鈴川だより【アーサービナード】氏の記事に思う。

師走最初の五十鈴川だよりである。二日前のM新聞の特集ワイドに詩人であるアーサービナード氏が【日本語は消滅に向かっている】という記事がいきなり目に飛び込んできた。

一人のささやかな日本人として、この数十年のカタカナ英語表記の横溢の目に余る氾濫ぶりに(あたかもそれがいかにも今風でカッコイイかのような)その風潮に、絶望的な気分に陥っている自分としては、快哉を叫ばずにはいられないほどの内容だった。(五十鈴川だよりを読む方には氏の絶望の深さを知ってほしい、と願う)
一日に一つ何か思考の栄養を新聞で見つけたい私である

このあまりに素晴らしいというしかない、米国生まれ(1967年生まれ)でありながら、日本語による詩人としてのお仕事 をされている(日本語の素晴らしさを発見し続けている)氏のことは、以前(日本語ぽこリポこり)という本を読んでいたのでしっていた。

ひそかに話題になっている最近の氏の【知らなかった、僕らの戦争】という本も是非読みたく思っていたし、日本人がややもすると気づかない大切なことを、異国人の眼で、しかも素晴らしい日本語で指摘してくださる視点に、私は限りない信頼を置いている。

氏の考えは圧倒的な少数マイノリティの論考のように思える、今の日本の世相である。朝のきわめて個人的なブログでこれ以上書くことは控えるが、氏を絶望的なまでにまでに悩ませる氏の目に映るこの日本の世相。

逆に言えば絶滅危惧種的なまでに、憂える日本語への、日本人が紡いできた言の葉への愛の深さの裏返しのようにも私は感る。

22歳で日本語に出遭い、依頼27年間日本語の素晴らしさを真摯に探究し続ける、氏のような視点を持ちうる文学詩人の存在は、私に限りなく勇気を与えてくれる。氏の圧倒的なマイノリティの側に、そのお仲間に入り、静かに隠遁生活(時折郷に出て)を送りたいとさえ思うほどだ。(だが、絶望はしない自分の中に希望を見つけるのだ、愚直に)

氏は 今も携帯電話を持たず生活しているという、筋金入りの超マイノリティ生活者である。氏には遠く及ばないが、私も最少に使用する生活を心かけている。便利なものが、こころを育てるのには、懐疑的である。それより想像力、創造力、思考力が何よりも大切だ。

時間がかかり、手間暇がかかることの中でしか、人間の精神性の豊かさは育ちようがないのではないかという側に、徐々に徐々に私はシフトしつつある 。絶対矛盾を生きつつも、自分に対する懐疑というものを、(疑う勇気を)失いたくないと考える。私自身がこのままの生き方でいいのかと反省するのである。

だからこそ、こうやって一文を綴りながらささやかに考えるいっときの時間が、貴重極まるのだ。人間に優位がないように、言葉にも優位など在るはずもない。

言葉は、どんな邦の民族の言葉であれ、歴史的に築かれ、奇蹟的に生成された崇高で限りなく大切な、どんな人にもおのずと与えられている有形無形の遺産である、というしかない。一人のささやかに生きる日本人として、母語として私は日本語を愛し大切にしたいのである。日本人として生を受けた奇蹟に感謝するほかはない。

このM新聞の記事を書かれた藤原章生記者のことは 、しっかりと私の脳裡にに刻まれた。



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