パソコンに向かうまで半分以上書くことを決めていないだが、正座をして画面に相対していると、おのずと文章が紡ぎだされてくる。(動き、掃除し、耕し、声出し、読み、書き、見る、散歩し、時折旅をする)
どんなにつたなくても、一編の文章が生まれてくるのは、自己満足的にやはり苦楽的にうれしい。夢が原退職後、一番変わったことの一つに図書館通いがある。
西大寺には大きな本屋さんがないし、歩いて行けるところに図書館があるのは本当にありがたい。 平均週いちくらいで通っている。
思いがけない知らない著者の書いた本を、30分くらいかけて数冊選んだらすぐに図書館を後にする。当たり前だが、図書館には古い本が多い。古本屋もそうである。
読み継がれている名著ではなく、数年前とかせいぜい10年くらい前の本で、読んでみたかったおもえるよな本、今私の年齢で糧になりそうな本を見つけるのが大きな日々の楽しみの一つだ。
一昨日の日曜日(に行くことが多い)、書棚に【よく生きるとは、よく動くこと】という本が私の眼にとまった。著者は91歳になる現代舞踊家、石井みどりさん。2004年発行のほんである
すぐに読み終えたが、75年間 もの間踊り一筋、体を動かし続けた方の言葉は、お上手がなく含蓄に富んでいてなるほどという説得力に満ちていて、読みごたえがあった。
【膝は 腰とかかとを結ぶ接続詞】、なんて言葉を始め十数の言葉を万年筆で書き写した。
話は変わる。一度現役をリタイア宣言した、宮崎駿監督のドキュメンタリーを先日NHKでたまたま見たのだが、アニメーターが人工知能でアニメーションに取り組む姿に、(AIを否定するのではなく)あくまで宮崎監督の手が生み出す、魔法の線にこだわる苦悩が映し出されていた。
91歳と、75歳の肉体の妙、摩訶不思議さ、その素晴らしさに、心底こだわるその姿に私は感動した。いくら少数者であれ、間違いなく自分は あちら側に棲みたいと思ったのだ。
デジタルでブログを書きながら、という絶対矛盾を生きる私だが。AIが逆立ちしてもできない世界を、見つけたいと思う初老の私だ。
宮崎駿監督や、石井みどり先生(このような素敵な方の存在をいままで私は知らなかった)のような真の意味で生きている人間性の持ち主の言葉には魂と血が流れている。