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2017-01-21

【みかんの丘】【アルジェの戦いを】シネマクレールで視る。

今年に入ってどういうわけか、映画館に足を運ぶ回数が増えている。

観たばかりでまだなんとも言えない、シーンシーンの余韻が、いまだからだにとどまっている。その作品は2013年、エストニア・グルジア合作、ザザ・ウルシャゼ監督【みかんの丘】。

昨日は朝一回だけ上映されている、【アルジェの戦い】を見に行った。1966年に封切られた作品の50年ぶりの、リバイバル上映。

私はたまたま、アルジェの戦いを高校生の時、田舎で見ている。 その時の白黒の映像の残像が記憶にかすかに残っているが、48年ぶりくらいにきちんと見ることができて本当によかった。

(群衆シーンの映像はまったく古びていなくて、まるで現実の映像のようなリアルさに満ちていた、エンニオ・モリコーネの音楽がすごい)

アルジェの戦い・という作品がまったく古びていなくて、今も世界で不条理的なまでに解決 不可能な問題として不死鳥のようによみがえって私の胸に迫ってきた。

岡山にシネマクレールという映画館があり、今この時代の空気感の中、わずか一週間の、朝一回の上映ではあれ、このような作品を選んで上映してくれるということは、すごいことである。

両作品とも、10名前後の観客しかいなかったがこのような集客が困難な作品を選んで、映画を見るのにふさわしい設備の整った映画館で観ることができるということの、何たる在り難さを、改めて痛感した。

来週は【とうもろこしの島】が上映される、是非ゆこうと思っている。

特に日本人である私にとって、宗教や民族的に、また地政学的に遠い 国々の複雑に入り組んだ、一筋縄ではゆかない、気の遠くなるほどのテーマを、映画という芸術でしかなしえない取り組みで迫る、良心がたぎっている監督作品に、初老の私の心は震え慄く。(感覚的に理解することが程遠くても、まずはほんの少しでも知ることが肝要だ)

おそらく、こういう感覚がある間は、作品によって自分自身を照らす鏡としてシネマクレールに足を運ぶことになるだろう。

人生の晩年を迎え、再び映画館に足を運べる余裕時間が私にめぐってきたのである。在り難いことだ。身体が多面的に刺激を受け活性化しているのを感じる。

内容やくどくどとした感想は書かないが、自分の琴線に触れる作品なんかに巡り合ったときは、折々五十鈴川だよりに書いてゆきたいと(今年から特に)思っている。

今朝の新聞の一面トップは、もちろんアメリカトランプ大統領就任記事一色だ。我々はいったいどのような時代性の中を生きているのか、映画という芸術作品を暗闇の中で静かに堪能しながら、揺れ動く己の心を整理思考しつつ、日々を生きねばと自戒する。(まったく予断を許さない時代がすぐそこに来ている)

シネマクレールでの闇の中でのひとときは、自分という闇の部分とも向かい合う時間として貴重になってきた。

近々、私の好きなルキノヴィスコンティ監督の作品もリバイバル上映される。

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