だからあっという間に過ぎたので、11月はできるだけ家で静かに暮らしたいと考えている。とはいうものの、手の届く範囲の外壁の柱はほとんど塗ったので、手の届かない二階の部分の柱と、北側の壁を塗るという、我が家にとっての主としての、大きな仕事がある。
業者に頼めば、私の現在の年収くらいは飛んでしまうので、これまで歩んできた中で身につけた、自分の現在の体の動きで、やれるところまで挑戦するという山登りのような楽しみが。
だからといって焦っているわけではない。来年の梅雨が来る前までにやれればそれでいいのだから、参謀の妻と共にあれやこれや、自身を活性化するためにも楽しみたいのである。
素人がわずか10日、柱や車庫玄関ほかを塗っただけで、かなりいい感じになったのが見た目ではっきりとわかるので、単純にうれしいのである。
昨日撮った竹韻庵のハゼの樹の紅葉 |
野菜を育てるのもそうであるが、何事も自分でやれる範囲からスタートするしかないし、なにより一番肝心なことは、思いついたら実践するということしか、私には方法がない。
若いころからさんざん失敗(果たして成功とは何か)してきたからこそ、もっと言うなら失敗の中からかろうじて何かを掴み取ってきたからこそ、多分現在も生き延びていられるのだと私は考えている。
そういう意味では、人間はつくづく自分に正直に謙虚であらねばならないと思う。
娘の通っている大学の渡辺和子先生の言葉ではないが、おかれたところの今を、いかに生きるかにしか、私にとっての世界、人生はないのである。
3号地の畑に柵をS氏と作る |
人と比較するなんてまったくもって意味をなさない。自分を楽しむしか私にはほかに方法がない。人は生涯自分と付き合ってゆくしかない、揺れる存在なのだから。
話を戻す。いよいよもってこれから歳を重ねるににつれ家で過ごす時間は増えてゆくに違いない。だからこれから先、まずは家を居心地よくしたいのである。(そこに人を招きたいのだ)
何度も書いているように、やがてはできなくなるのなら、今できるときに悔いなくやっておきたいという、ただ単純な思いなのである。
あれこれ迷うとき、これまで私は困難な道を選んできた。あえて楽な方は選ばなかったということが今となってはよかったのだ、と痛切に感じている。
重い荷物を背負い大変な思いもするのだが、やり遂げた時のささやかな喜びこそが宝である。やがてはゆっくりと下るためにも、今しばらくはささやかであれ荷物が背負える間は、私の場合はそれを背負える日々を、生活全般の中で見つけてゆきたいと思うのである。
私が尊敬し敬愛する 方々は、全員やっておられることは別にせよ、恬淡と生を生きておられる。勇気をもって生きておられる。
今日は半田山を一人で一周歩きました。
返信削除途中竹韻庵に寄りましたが、花といちごの苗が植えられていました。
また、琵琶の木の周辺も耕されており、私の予想をはるかに超える速さで、
理想とする里山になりつつあります。
日高さんには、感謝・感謝でことばもありません。
半田山は、江戸時代は池田の殿様の猟場で、木も切られず自然が残っています。
戦後も近くの大学がほとんどを管理していて、街中の山とは思えないほど自然が
残っています。背の高い木がたくさんあり、鬱蒼とした山道を歩くことになります。
半田山の中で竹韻庵はすぽっと青い空が見え、ちょうど幹回り3mの巨樹の楠が
神木として存在しています。
私が小学生の頃、親戚の者がここに棲んでいましたが、温めた山羊の乳をいただき
ながら、何時かこの地で過ごしたいと思ったものでした。
10年前から山登りを始め、いろいろ山に登りましたが、私の終着地はこの場所だと
思います。
介護施設のお世話にはならず、生涯体を動かし、自分の足で歩いていたいものです。
これからも日高兄さん、よろしくお願いします。