干し柿を食べることも、もちろん大好きではあるのだが、吊るしたばかりの柿が、陽光に映える様はなんとも言えない、いわば日本の秋の一つの風物詩である。
そろそろ今朝の朝陽が当たる前 |
私が干し柿作りが好きになったのは、やはり夢が原で秋になると柿をつるしたからである。
ほかにも薪割とか、畑仕事とか、いわゆる退職後始めたことのことごとくは、夢が原で学んだことがかくも大きいことを知らされる。
日本人が日本列島の気候風土の中で育んできた伝統的なあれやこれやを、ほんのわずかでもわが娘たちには伝えてゆきたいと、思わずにはいられない初老の私である。
たまたま柿をむき始めた時間に、辰巳よし子先生のドキュメンタリー映画・天のしずく・が放映されていたので、それを眺めながらひたすら柿をむいた。
先日の、柳田邦夫先生のお話といい、辰巳よし子先生の穏やかな日本語は私の中に、子守唄のようにしみいった。
ああ、こういった営々と名もなき庶民が紡いできた伝統的な、日本の自然に寄り添うような生き方を、今後、私もわずかでも学びながら続けたいと思う。
夢が原退職後、間もなく3年の月日が瞬く間に過ぎようとしているが、この3年の時間は新しいことを次々に始めたので、本当に充実した時間が流れているという気がしている。退職してよかった。何事も手放さないと、新しい自分には出会えない。
経済的なことはともかく、声を出すことにしろ、畑仕事をするにせよ、それなりのリスクを覚悟しながらの晩年ライフは、覚悟といささかの勇気をともなうのである。
家族の理解あればこそだが、その点私は実に恵まれている。だからこそ踏ん張れるのだと思う。母や妻が土に触れることが大好きであるし、イベントを企画するリスクとは比べようもない低リスクである。
しかも喜びは、大地から直に私の体に伝わる。辰巳先生もおっしゃっていたが、土に触れるとは、直に宇宙に触れること、宇宙を手でわしづかみにすることだと。
土・水・光なくば、私自身は存在しないのである。日々命の元である、生命力あふるる野菜を可能な範囲で自分で育てることができるなんて、幸福以外の何物でもない。それを身近な方たちとシェアしたい。
それで生かされながら、一年でも声を出し続けられたら、それこそ、私が現在望むものである。つつましくもおいしくいただけ、声を出せる精神と体を日々過ごせたら、あとは感謝し寝る。シンプル、単純。
いまだ、生きているが故の悲しみもときおり丸ごと受け入れながら、下り坂を夫婦共々歩む、いまである。
ひよどりさんの来訪に お気をつけて(笑)
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