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2015-09-26

娘たちが帰京する日、セバスチャンサルガドのフィルムがシネマクレールで始まります。

今日の午後娘と怜君が帰京する。丸一週間久しぶりに我が家に滞在した。昨年の今頃、ドレスデンで結婚式を挙げてから一年が経ったわけである。

娘は怜君と出合った当時二十歳だったから、あれから6年の時間が流れたことになる。きっとこれからますます時が早く流れてゆくような感覚は、私の中では強くなってゆくのだろう。

母も含め昨夜は全員で珍しく外食をした、彼らが帰ってきてから初めての。

家を建て替えた2000年くらいからだと思うが、娘たちの成長に従ってということもないのだが、我が家では外食をすることがほとんどなくなりつつあるのだ。

妻も娘たちもあまり外食を好まないのである。我が家で食べることを優先する、そのことが私もうれしい。人間いったん外に出ると、生きている限り世の荒波が待ち受けている。だから家は、何よりもそれぞれの居場所があってゆっくりと食事ができるように、リビングも広くしたのである。

その家も建て替えて15年が経つ、私も今は家で過ごすことが多い。昼食はあるもので工夫して作る.作ることは苦にならないし愉しい。ほとんどは麺類だが。家にいて落ち着けるということは幸せなことであると思う。

家は、いわば私にとっては小さな砦のようなものなのである。帰ってゆく落ち着ける場所、そこに家人がいれば、そこがいわば世界の中心というわけだ。

家族という文字には、家が入っているように家という空間、場所が精神に与える影響の大きさは計り知れぬものがあると、個人的に私は考える。

だから家を建て替えるときに、子供たちにとっても、老いてからの私たちにとっても、長い時間を過ごす最も大切な生活の居場所と して、妻と二人で考えて作ったのがいまの家である。

あれから15年、娘たちは成長し私には思いもかけない義理の息子ができ、里帰りしてきても、家は十分にその機能を果たしてくれている。

さて、またしばらくはあえなくなるし、昨夜は夕食ののち、家でお茶をしながら母も含め全員での語らいの時間をリビングで過ごした。そこで明日の最後の昼食の話になったのだが、長女がみんなで作って食べようと提案。

結局、生地の皮からピザを作ることになり、私が床に就くころ娘。たちは遅くまでやっているスーパーに買い出しに行った。

怜君がパンを焼いたり(ドイツ語のクッキングの本を持っている)つくることが好きなので、好ましくも頼もしい。食べることに関して関心の強い男は信頼できる。

これから娘たちが、どのような人生を生きてゆくことになるのか、そしていつまで私が彼らの人生を見守れるか皆目わからないが、今しばらくはこの家で遠方から彼らの行く末を見守りながら、過ごしたいとあらためておもった。
またささやかに写真をアップできます、怜君のおかげで。

長女が生まれた時に植えた我が家のスダチの樹には、今年もたくさんの実がついている。帰京に際して持たせるつもりでいる。

忽然とまた話は変わるが、S氏の竹韻庵にこの秋何本か樹を植えるつもりである。まずとりあえず西条柿を(もっと歳を重ねたら私は干し柿作りがしたいのである。昔の人は自分が亡くなった後のことまで考えて樹を植えている、私もあやかりたいのである。

ところで今日からセバスチャンサルガドのフィルムがシネマクレールで始まると岡さんが教えてくださった。今年は、セバスチャンサルガドの存在を知りえた喜びの歳として刻まれる。

とりとめなき朝ブログになってしまったが、関心のある方は是非ご覧になっていただきたい。私ももう一度見るつもりである。

2015-09-20

五十鈴川だよりも、しばし大型連休に入ります。

大型連休に入った昨日、娘と怜君が里帰りしてきて、我が家は急ににぎやかになった。

安全保障法案がいかさま的に可決して、気分がすぐれなかった私だが、今週はしばし頭をヴァカンスにして、家族との秋の団欒を楽しむことにする。

いつも通りの朝を迎え、しばしのブログタイム、私のささやか な楽しみのひと時である。娘と怜君は昨夜は、娘の小中高同級生の結婚式、下の娘もアルバイトで帰りが遅かったので家の中はシーンと静まり返っている。

さて連休、今週はカルチャーセンターでのレッスンも遊声塾もお休みなので、まったく一週間がまさに自由である。

こういう時間が年に4回くらいあれば、もう私には理想的というしかない。60代に入って漸くかなり理想に近い、ライフ、生命の輝ける生活をおくれている我が身の、つましき幸福感を双方の両親に感謝する私だ。

18歳から何とか世の荒波を潜り抜けてきての今の暮らし、世界は今この瞬間の中にしか存在しかない。だから、わたくしごときの人生でさえいろいろあったし、きっとこれからも荒波は繰り返しやってくる。

【悪魔のように繊細に、天使のように大胆】に、亡き黒澤明監督が座右の銘にしていた言葉だ。 丁寧に細部をおろそかにしない、生き方を今後ますます大切にして、かけがえのない家族と暮らしてゆきたいと考えている。

今日はこれから午前中お墓参りに行き、それからS氏の好意に甘え、彼の所有する蒜山の別荘に行き一泊二日を過ごすことになっている、母も含め6人全員でゆく。

妻と母は大変な張り切りよう、今日は山荘でバーべキュウをするので昨日夕方そのための買い出しに私も付き合ったのだが、その用意周到さには感心した。

天気もよさそうだし、記憶に残る家族時間を過ごしたく思わずにはいられない。S氏が山荘の利用を気安くいってくださったので、有難いというしかない。

ともあれ、今週は五十鈴川だよりも、しばしの間オフになります。五十鈴川だよりを読んでくださる方、この場を借りて、良き秋をお過ごしください。

2015-09-18

SEALSの若者たちのやったこと、やり続けていることに共感する。

昨日は雨で竹韻庵には行かず、普段は遁と視ないTVをかなりの時間国会中継割いて午前、午後、夕方、深夜(わたしにとっては)と、編集された部分を眺めた。

TVではなく、信頼する藤原新也さんのキャットウォークのサイトもあるので、こちらからも情報を得るようにはしている。そして自分の考えを検証する。

とまれ、午後4時半すぎの理不尽極まる強行採決はしっかりと眼に焼き付けた、画面に映る議員たちの顔もかなりリアルに認識できた。

戦後70年の節目に、この数か月でかなりの人たちがデモに参加できない人たちも含め、国の安全に関して、強い関心を持ち始めたことに個人的に希望を持っている。

この安全保障法案に関して、SEALSの若者たちが果たしたアクションはとても大きいと私個人は思う。彼らと間接的に連帯したく、6月国会議事堂前と、渋谷に足を運んだことは、やはりよかった。

あれから数か月で、こんなにもおおきなうねりとなってきている現実がそれは証明されている。単純に賛成や反対と色を決めるのではなく、憲法とは、国防とは、国民の責任とは、、、。考えないといけない。

アクションを起こすことで、いやでも自分自身が自分の頭と体で考えないといけないということを、私自身がいまも痛感しているからだ。

いろんな考えが飛び交い、その中からかなりの真実がいま、見えてきているかのように私は個人的に感じている。

それを短い朝ブログで書くのは困難だが、やはりアメリカの大きな力の前に、日本が身動きできない状態に 追い込まれている、という気がしている。

信頼できる、いろんな身体をとして勉強をされている方々の情報なので、説得力がある。亡くなられた鶴見俊輔先生などは、はるか昔からアメリカによる民主主義の危機を予見されている。

ともあれ、当たり前のことだが自分たちの行く末は自国民が真摯に考えない限り、一部の為政者、大きな、戦争大好き国の力の前に屈してしまう 小さな国の悲劇である。

自戒する。戦後の豊かさの前で思考停止に陥りそうになっていた自分を感じる。若者たちの真摯な声を直に耳にすることで、私の中にも風穴があいたように感じている。

若者たちは、私と同じで平凡極まる、何気ない日常を守ろうとしているだけなのである。良識、常識、当たり前のことが、脅かされる社会の到来を、若者たちは本能的にキャッチ、素朴にアクションを起こしているのだ。

だからこその、多くの人々たちのハートに届いているのだと私は感じる。彼らと同じようにまだまだあきらめず、この法案審議の行く末、(可決されようと)そして日本という国の行く末を、ひとりの国民としてしっかりと考えてゆきたい。




2015-09-16

安全保障法案審議中、居眠り国会議員にSEALSの若者の当たり前の一言、そして思う。

前回書いたブログの上に、今日の五十鈴川だよりが乗っかる。いわば最近はそのような感じでブログを書いている。

安全保障法案の採決が今日にも決まるかというなか、私の心はこの数か月の中では一番いいいみで冷静である。参加しているSEALSの若者たちだって熱く冷静なのである。終わりの始まり。

6月一番最初に国会議事堂前に駆け付けたころと、自分の中では ちっとも変わっていないが、あの頃よりいろいろと学んだ分、冷静なのである。

何よりもやはり一番国会議事堂前に駆けつけてよかったことは、昨夜も映像が流されていたが、あの現場感覚が、あのコーナーでの若者たちが先導し、老いも若きも駆け付けた無所属の人々の示威活動が、皮膚感覚で分るのだ。

個人個人で考え、どこにも属さず自分の足で行動し連帯する。自分の子供たち世代が中心になり、動き始めたことに動かされて、単細胞のおじさんとしては参加せずにはいられなかっただけなのだが、若者たちから教わること、感じることの多い今年の夏だった。

ただ歳を重ねればいいというものではない、反省しきりの最近の私である。若者たちの一部は、軽やか、柔軟に学びつつ、勝手に連帯しているのである。若さゆえの特権をおじさんだって学ぶのだ。

これまでの日本のデモではみられなかったアクションに、遅まきながら、ともに闇の中で無言で連帯し、その現場におじさんはただ、たたずみたかったのである。

昨夜の民放のニュース で、国会に呼ばれたSEALSの若者がまず一番先に、【眠っている国会議員】にしっかり話を聞いてほしいと発言した。

それを聞いて私は、心底情けなくあきれた。 民の代表である議員諸氏の(一部の議員だと思いますが)あまりの危機感のない、ゆるんだたるみ切った議員たちにこの国の行く末を託さなくてはならない恐ろしさを、感じたからである。(国会議員同士で注意もできない情けなさ、若者に注意されるお粗末さ)

そのような議員たちを選んでいる。国民の側にも責任があるとはいえ、低投票率で選ばれた議員の多数が与党として、国民から信任されたと思い込み 、国民にゆっくりと考える時間も与えないまま、強行採決にと向かうこの内閣の暴走ぶりが、凡人の私には理解ができない。

それにしても、この国の行く末を決める、大事な安全保障法案の審議中に、居眠りしている国会議員がいるという我が国の現状の危機意識のなさ、現実の前には唖然としてしまう。

一体全体、議会制民主主義はどこに行こうとしているのだろうと、庶民、凡夫の私でさえ不安を覚えるくらい、画面に映る与党の議員たちの顔つきに、おごりと緊張感が足りなく感じるのは私だけだろうか。

【主権在民】という憲法の言葉を、我々は今一度も二度もかみしめねばならないと、私個人は考える。

国民がなめられたら、権力者の側の思うつぼではないか。議員のみならず次々と警察官はじめ権力者側の不祥事が起こる。何かこの国のタガが緩んでいる中での、ゆるゆる安全保障法案の強行採決は納得がゆかない。

真面目に働いている方々もおられるのは承知しつつも、おごれるものは久しからず、あらゆる権力は堕落するからこそ、国民は責任を持って、送り込んだ代表をウオッチしないといけないと思う。

繰り返すが、民主主義は私も含めた国民もまた一人一人が問われる。民主主義は在るものではなく、永遠に創り続けてゆくものでしかない、そのように私には思える。

穏やかに生存できる権利をまもってゆくことは、生半可なことではない。一個人として民主主義とは何か、生きてゆくことの意味まで含め、安全保障法案が我々に問いかけている。






2015-09-14

掃除をし、心身を整え、今を生きながらシェイクスピア作品を読む日々。

高村薫さんという作家がいる。小説を読んだことはないのだが、この方が月に一回新聞にエッセイを書いていて、私はこの方の連載を楽しみに読んでいる。

昨日、6回目のタイトルは【掃除と生きる力】だった。掃除は好きだが片付けは苦手とある、私もそうなので親近感を、(何より雑巾がけを毎日しているというそこのところに)もった。

家にいるときの私の一番の気分転換は、やはり雑巾がけなのである。何か気分がすぐれない時などは、毎日ではないが、雑巾がけをしてからやりたいことに向かうようにしている。

床や廊下の木の分はもちろん、畳も雑巾で拭く。何よりもさわやかスッキリ、効果てきめん裸足で歩くと気持ちがいい。特に我が家は屋内で犬を飼っているので、夏はとくにメルの毛が抜けて、掃除機ではやはり駄目なのである。

高村さんは書いている、掃除は生きるエネルギーと直結していると。 まったく私も同感である。時折うんざりしながらも、体調を図るバロメーターとしても、私もまた高村さんと同じように、目線を低くして隅にたまっている、メルの毛や綿ぼこりを掃除する。

掃除の効用は私みたいな単細胞には実に大きい。気が重い時などはあえてやる。やっていると徐々にエンジンがかかってきて、一時間近くやっていることもたまにある。

部屋数があるので、日々循環しながらを心かけている。つくずく人間は気持ちの持ちようが大事なのだ、動く身体がないと当たり前だが掃除はできない。

高村さんは、ひとり暮らしなので、日々の雑事含め全部一人でこなしながら、小説を書く仕事をされているわけだから、えらいと思う。

繰り返しの反復掃除。今後も可能な限り自分でできることは努めて自分でやれるように心かけたい。

言うは易し、行うは難しだが、継続の効用はじわじわと脳のシナプスを育む。すべては何事も一歩一歩の積み重ねなのだ。人生には近道はないと思い知る

とここまで書いて、いきなり話は変わる。今日はこれから山陽カルチャーでたった一人の85歳の素敵に年齢を重ねている一人の女性と二人でシェイクスピアの・お気に召すまま・を読む。

間違いの喜劇・十二夜・ジュリアスシーザー・冬物語・ロミオとジュリエット・ハムレット・ヴェニスの商人・オセローと、二人でこの二年間読んできた。

お気に召すままで九冊目のW・シェイクスピア作品になる。 私自身お気に召すままを、読むのは35年ぶりである。今再びシェイクスピア作品を声に出して読むことが生活の主なエネルギーになりつつある。

人生の時間は有限だ、あれもこれもは無理。日々の暮らしので基本の掃除をしながら心身を整え、可能な限りシェイクスピア作品を声に出しながら、老いてゆきたい私だ。

2015-09-13

お休みの涼しい朝、静かに新聞に目を通し、平和をかみしめる。

朝夕すっかり涼しくなって、私の個人的な生活は限りなくシンプルに流れて行っている、穏やかな足るを知る、日々である。

リタイア後、お金は最小限、時間は最大限有効に生きる日々を心がけているが、わけても新聞をきちんと読むように心かけていることは、すでに何度か書いている。

知らない言葉や、何か至らない自分の感性に反省を促してくれるような視点や意外性のある、へーっと思わせられるような連載記事なんかを読むと、あらためて知らねばならぬ何事も、との思いで心が元気になる。

この年になると、すぐ忘れてしまうので、切り抜いてペタペタとノートに張り付ける。単なる自己満足的な行為に過ぎないことは、重々承知しながらも、まったくお金のかからない、脳の海馬のかっ せいかくらいの軽い気持ちでやっている。

土日の朝は、目覚めてブログを書いたり、新聞を読み切り抜いたり、お葉書を書いたりして、のんびり数時間を過ごしたのち、なるべく一日は妻や母との共通の時間を過ごすように心かけている。

昨日も妻と母と3人で、ホームセンターに肥料を買いに行ったり、薪の材料をもらいに行ったり、夕方母の家のフェンスが傷んで、スムースに開閉しなくなっていたのを、3人で1時間以上かけて、ああでもないと、知恵を絞りながら修復したのだが実に楽しく過ごすことができた。

今日もおそらくこれから母がやってきて、なにやかやと妻は母との時間を大切に過ごすはずなので、私ができる範囲で、力仕事等は私が率先してやるつもりである。

話はまた新聞記事に戻る。今朝は昨日とおとといの新聞を、ゆっくりと読んだ中で切り抜いたのは、拡大する自衛の記事(2と3)と、保坂正康氏の【昭和史のかたち】【元首相たちの安保法制】の文章。

元首相5名が、安倍晋三首相に安全保障法案に関しての提言を書いている。中で、3人方の文書での真摯な提言の引用が示されていて(鳩山由紀夫、羽田孜、細川護熙、)切り抜いた。

3人それぞれ素晴らしいのだが、ここでは鳩山由紀夫氏の2400時にも及ぶ提言の中から、保坂正康氏が引用した部分を、五十鈴川だよりに書いておきたい。

【私は日本を・戦争のできる普通の国・にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすればいいのかを真剣に模索する ・戦争のできない珍しい国・にするべきだと思います】と結ぶ。

平和憲法の歯止めがあればこそ、いたずらに戦争に加担する愚を犯すことなく、戦後70年日本は平和国家として、かなりの世界のよその国からの尊敬をかろうじて勝ち得てきたのだと知る。

どちらの道を選ぶのか、一国のリーダーは深い大河のような見識を持たねばならないと、知らされる。細川護熙元首相は、2500文字の末尾でこう記している、とある。

【ヤジを飛ばすような唯我独尊の姿勢に苦言を呈し、そのような手法で、違憲の疑いの強い安全保障法案を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない】と結ぶ。

最後に、安保法制と政治、U30の視点、20代の若者、男女3人の記事を切り抜いた。感性の柔らかい若者たちの登場、今後の活動を静かに関心をもって見守りたくおもう。

2015-09-12

栃木茨木、関東エリアの大水害に、しばし考え、思う。

前回書いたことをの細かい中身まではほとんど記憶はしていないが、書いておくと自分がその瞬間,にじみ出た想いの発露が、時折恥ずかしいくらいに残っている。

やっと最近時折自分が書いた文章を読み直したりする。ほんとにたまにだが、これは自分が書いたのだろうかかと思えるような文章がある。

自分の中には、自分でもコントロールできない何か得体のしれないものが、未だ住んでいるような気がしてしまう。いい意味でも悪い意味でも。

オーバーに表現するなら、悪魔のような自分と、天使のような自分が往ったり来たり、人間とはそのような存在なのだと(あくまで自分のことです)ときおり、途方に未だくれる自分がいる。

自分とは、人間とは、かくも厄介な生き物であるという認識は、もの心つくころから今に至るもずっと私の中では変わらず、きっと老いて思考能力が無くなるまでの間、このことと覚悟を決めて向かい合うしかない、といった心境に最近はなりつつある。

話題を変える。あの暑い夏が嘘のように一気に涼しくなり栃木や茨木では、水害で大変な 事態になっている。

人災も、天災も、こうも多岐にわたって多くの事象が瞬時に映像で伝えられると、時折茫然、感性の糸が切れたかのように、画面のスイッチをオフにしたくなる。

自然の猛威の前では、(人間の悪魔のような所業の前でも)我々人間は裸同然の存在なのだということを 、特に東北の大震災以降私は個人的に痛感する。

だからそれ以降(以前からもそうでしたが)とくに生活をシンプルにして、できる限り何が起きてもリスクが少ないような生き方を心かけている(つもりである)。

随分と、それなりに当時は悩みもした末、40歳で災害の少ない岡山に家族で 移住を決断したことは、ちょっとした本能のアンテナ、無意識の発露に従ったまで、いまふりかえるち、よかったというしかない。

家族3人とにかく穏やかに生きられれば、それに勝るものはない、という気づきが赤ちゃんの娘を見ていて私の中に湧き起ったのだ。それくらいの単細胞の私の決断でしたが、(身を捨ててこそといいますが)人生何度か思い切った決断を迫られることが、するしかない時が、おそらくはどのような方にも訪れるのではないかという気がする。

そこで踏ん張れるかどうかで(別に踏ん張らなくてもいい)道は分かれてゆく。私の場合はそう思える。あの時のちょっとした勇気が自分に中に育っていたことが間一髪良かったと、。

過去に学んだことを体の中に持って、新天地で生きる。おそらく原発事故やあらゆる理由で 、生活を変えざるを得ない方々が、現在の日本のみならずおそらく全世界には途方もなく存在する。生活困窮者、いわゆる俗に難民と呼ばれる方々が存在する。

性別や、生れ落ちた時代や環境は変えようもなく、災害等の不測の事態も、いわば運命として甘受す
るしかない、現実。

変えようもない運命を 人は生きるしかない。つくづく非常、不条理というしかない世界を、ますますもって我々は生きざるを得ないのかと、時に私はブログを書く気がおきないくらい、暗澹とした気分になる。

ところで私の両親は北朝鮮からの引揚者である。兄と姉は平壌の近くの新義州うまれ、親子4人それこそ命からがら引き上げてきたのだ。引き上げ後、無一物からの再出発。

もし、不測の事態が起きて、帰国がかなわなかったら私はこの世に存在していない。私が世界の難民の、特に子供が置かれている苛酷な報道にいくばくかの過剰な反応が自分の中に起こるのは、父の引揚体験を、遺してくれたわずかな文章を繰り返し読んでいるからかもしれない。

ともあれ、まかり間違うと大災害時代に遭遇しかねない、危険なリスクの時代が到来している。だからといって、いたずらに不安を抱え込む必要もないと、私自身は考える。なるようにしかならない中をあきらめず、生きるしかない。

繰り返すが、シンプルにつつましく生きることの中に 、限りなく喜びを見出せる方法を(できる限りお金に頼らず)私は体と相談しながら、模索しながら歩みたく思う。




2015-09-07

蛇行しながら、五十鈴川だよりは、ささやかな平和をかみしめ生きる。

何やらやはり夏の疲れが出ているような気がしている。そんなことを書くとやはり歳なのだというしかないが、この4日間ブログを書く気にならないくらいにあちらこちらと、移動したり体を動かしたりしていたものだから、その疲れで何も書く気がおきなかった。

が、昨日の朝は ちょっと時間もあったし書きたくなって、この夏新聞で知った、【竹内浩三】という詩人(藤原書店から全集が出ている)の詩が掲載されていた。

【いくさにぼくも征くのだけれど】と【骨の歌う】という二編の詩の抜粋を写しアップしたのだが、きちんとイメージどおりにはアップされなかったので消去した。

とても心にしみた詩だったので、五十鈴川だよりを開いた方は、竹内浩三という詩人をご存じなき方は、こころに留め置いていただけると嬉しい。

こういう心優しき持ち主が、戦場に送られる可能性が出てくる安全保障法案には、何としても私はひとりの人間として反対である。

五十鈴川だよりは、長い文章が多いけれど、短い文章ではわが想いは伝えきれないし、きわめて個人的な、あるがまま自然体、自分の中の書ける範囲での正直な(不正直も含めての絶対矛盾)思いを込めたブログなので、読んでくださるの方の多寡ではなく、個人の揺れ動く発露として受け止めていただければとの思いだ。

このところのシリア他からの難民の EU諸国(中でももドイツ)を目指すニュースが伝えられる。その切り取られた映像の一部は、私の琴線のどこかに届く。(世界はあらゆる真実で満ちているが、その真実はほとんど編集されているので、私は片目でしか見ない、信頼できる人のサイトを読む)

世界で起こっていることから目をそらさない感覚を、元気な体で受け止められる間はささやかな一滴であれ、五十鈴川だよりに書いておきたい。(いつ何時我が身に訪れてもおかしくはない時代を我々は生きている)

ところで1万3000人の兵士と、最新鋭武器による中国の軍事パレードの示威行為は私を沈黙させる。旧ソ連時代の軍事パレードの映像も若い頃何度も見た記憶がある。そのたびに私はある種の虚しさをいつも感じていた。(一段とその思いは深まる)

そうこうしながらも、表面的な平和はあれから40年以上 も続き私も歳を重ね、(平和に慣れすぎている)再びなにやらひたひたと、真綿で首を締めるかのように、平和を脅かす脅威が忍び寄っている気配を私だけではなく、特に若者たちが感じ行動し始めている。(そこに可能性を見る)

私は一部の若者たちとすごく連帯したいがために、この夏2回足を国会議事堂前に向けた。必死さの発露はかけがえのないものだ。そして持続することのむつかしさ(ゆっくりと見守りたい)

国会議事堂前に行けなくても、こうして五十鈴川だよりで応援したいし、応援することで私もまた活性化し今を生きることを連帯し共有できる。(お年寄りが元気でない社会、若者が生き生きしていない社会は未来がないと考える、その根本は素直な健康体にしかない)

話は変わるが、ハイテクノロジー文明社会に対しての私の本能的違和感は、おおよそ40年以上続いている。

その最たる恐怖が核弾頭ミサイル社会、(死の商人、あまたの信じられないおぞましい殺傷兵器の数々、悪魔に魂を吸い取られた人間がかくもこの世には存在する)武器資本主義社会だ。口では命の大切さを唱え、裏では金まみれの亡者たち。だが落下すれば、何十億もするオスプレイや、ドローンの無人機も、ドローンと消える。

あれだけの天文学的なお金を、砂漠化する土地に植えたら、傷んだ地球は喜び、あらゆる微生物生命体は復活するのではないか、私はとんちんかんなことを考える。私の体には数億の微生物が住んで、生きている、つながって。

戦争と共にテクノロジーは発達し、表裏の関係で原子力発電も平和利用の声の中で、世界中に今も作られている。

しかし、そのデジタルテクノロジーは生命体にとって生かされているる方にこそ、英知を絞ってほしいものだ。深い哲学に裏打ちされた、ハイテクノロジーデジタル社会であってほしいものだ。

いったん不測の事態が起きれば制御しきれないことが 、チェルノブイリ原発事故と、福島原発事故ではっきり示されても、政府をはじめ世界の裏取引、趨勢は、自分の身に降りかかってこない限り、楽に金が稼げる、楽に電気が手に入る方法を選択する。すべては力の誇示と、経済発展の幻想のもとに。

(他者が苦しんでいることと私たちの生活は、きっとどこかでつながっていて無縁ではない。遅かれ早かれきっと私たちにもやってくる。そのことから受け止める覚悟を普段から養っておかないと、と初老の私は考える)

このままでいいのか、いけないのか、私の考えははっきりしている。ノーである。命があるのなら少々暗くても構わない。夜は休む。不便でも構わない。ぼろを着てても構わない。テレビ(一日に8時間放送すれば十分である)が見られなくても構わない。 構わないをずっと書き続けることができる。

私の家族仲間、友人知人、大切な存在のためだけではなく、全世界、人類が(という歴史文化)かけがえのない世界遺産が(ユネスコに指定されずとも人々は自分の中に、それぞれの世界遺産をみんな持っている)脅かされている、のにである。

中国の危険物の大爆発事故を見ても、ちょっとした管理ふいきとどきで大惨事になる現代の脅威。為政者が、人民をコントロールし、権力者の思いのままの一糸乱れぬ兵士の行進。私は気持ちが悪い。人にさえ迷惑をかけず、責任を取れれば思い思いに動いていいのだ。それを認めること。

あらためて歴史の皮肉、【先の敗戦でたった一つよかったことは平和憲法を手に入れたことだけ】、といわれた、尊敬する亡くなられた作家城山三郎さんの言葉が沁みる。

パレードのあの核爆弾の立った一発でもひょんなことで飛ばされたら、と思うとぞっとする本能的恐怖の感覚が私にはある、 想像力をなくしたくはない。その感覚にしがみついて、ささやかに五十鈴川だよりは流れてゆきたい。

穏やかに、猫の花と、犬のメルに話しかける妻の朝の声が聞こえる。毎日毎日を穏やかに暮らせる平和時間は、私たちの父母をはじめとする(異国の方たちも含めた)無名のおびただしい死者たちの上に築かれた、かけがえのない時間である。

そのことの有難さ、かけがえのなさを、曲がりなりにも少しずつ知る、学ぶことによって実感している。だから努々(ゆめゆめ)忘れないためにも、五十鈴川だよりを点検しながら、元気な間は融通無碍頑固に書き続けたいのだ。人を殺す愚は、己を殺すに等しい、と考える。




2015-09-02

昨日の夕方シェイクスピア遊声塾のM氏がひょっこり我が家にやってきました。

書きたいことはいろいろあれど、何はともあれ生きてゆく事がまず一番大事。自分を頼りにしてくれる家族をはじめ、ささやかに自分を必要としている人たちのためにも、それを最優先してゆきたいと私は考えている。

さて、昨日の夕方ちょっと意外なことがあった。塾生のM氏から相談したいことがあるので家に仕事を終えて伺いたい、との電話があった。

私はいい意味での意外性をことのほか好む。私が演劇を学んで一番よかったことは、日々の暮らしの中に、ささやかに演劇的な企画、意外性を生むような出来事がかなりできたことである。

その意外性を好む私の性癖は、いまもって私の中では消えてはおらずその最後の残り火のようなものが、シェイクスピア遊声塾を立ち上げさせたのだ。

その、遊声塾の塾生からの電話である。しかも家にやってくるという。いったいどういう相談なのだろうと思いつつOKし、妻に急な来客がある旨のTELを入れた。

所用で岡山にいた私は、西大寺駅でM氏と待ち合わせ氏の車で我が家に帰った。まだ明るかったので、ささやかな庭で蚊取り線香を炊きながら、私は氏の相談事に耳を傾けた。

内容には触れないが、とてもいい話だったし、何より塾生のM氏が我が家に来てくれたことが意味もなくただ単純にうれしかった。私が岡山に住むようになってから、我が家にわざわざ誘わなくても来てくれた人の数はそうは多くない。

また、誘われて家まで出かけた記憶もほとんどない。私の幼少のころの、電話もテレビもない時代とのあまりの落差、様変わりにはますます言葉を失い、あの時代にいつも精神的に回帰したい初老の私である。

私がアフリカの音楽や、インドの舞踊など、今も伝統が過去の財産が調和しながら、生命力が満ち満ちている企画を、非力さを顧みずやれたのは、きっと幼少のころの言葉にならない記憶の懐かしさを本能的に感じたからだろう。

それは、大地の香り土の香り、つまり生命力そのものを、肉体の根源性の素晴らしさに打たれたから、土と体がつながっている生命力をともなった肉体美というしかない世界に回帰したいと思ったからだ。

そして、形を変えたとはいえ、シェイクスピアを声に出す塾を立ち上げたのも、晩年生活を迎え、生きている己の体の根源的な移ろいのなかで、今出せる声、出る声を、シェイクスピアの作品を読みながら確認したいのである。

もうあまり書きたくもないのだが、メールやあらゆる利便性の機器(危機)に取り囲まれ、動物としての体の退化は末期的な症状を迎えているのではないかという、気が私にはしている。(あらゆる社会的な分野に噴き出しているように感じる)

私自身も、テレビが我が家にやってきてから、半世紀以上そういう世界に投げ込まれているので、おそらく私の肉体も悲鳴に近いシグナルを送ってきているのだ。

話をM氏に戻すが、だから昔に還ったかのように、いきなり彼がやってきたことが私にはうれしかったのだ。きっと彼も何か体が反応し、呼びかけてきたのだろう、その素直な声に従って私に電話してきたのだ、と思う。

ドストエフスキーも言っている、人間は限りなく純粋に正直に生きるすがすがしさを、時折絶対矛盾の中でも見つけてゆかないと、きっと堕落してゆく器なのだと、シンプルでいいのだ。思いついたら吉日。

結局氏は8時まで我が家にいて、妻と娘が夕飯を良かったら一緒にとさそったら、気安く食卓に着いてくれ、粗食を共にし愉しい夕餉のひと時となった。笑顔が満る食卓こそが家族の(人間関係の)宝だ。(妻と娘が食卓に誘ってくれたことが、私はとてもうれしかった)

 人間が素直に気持ちよく生きられる世の中を目指す、共生や協働、ありとあらゆる標語、言葉ををこの数十年、新聞やメディアで目にするがなんとも難しく生き苦しいややこしい時代が来たものだ。観念や理屈よりシンプルなアクションこそが大事だ。声を出し行動すること。

内なる声に素直になれない、もしくはもうそれすら自覚できないほどに、自分の気持ちのいい声を現代人は(自分も含めて)喪失の危機のスパイラルに巻き込まれつつあるのかもしれない。

だが、私は希望を持ち続ける。少数であれ自分の内なる感覚をまっとうに生きる、家族、仲間や友人たちと、せっかくの人生を可能な限り、笑顔で送りたいと考える。

ところで、最後にM氏は週末国会議事堂前のSEALSの呼びかけデモに参加してきたといい、氏の職場で(労働組合の) 書いた一文を読んでくださいと、私にくれた。

今夜は、遊声塾の日だ.メンバーの今日の声と出会えるのが楽しみである。