娘は怜君と出合った当時二十歳だったから、あれから6年の時間が流れたことになる。きっとこれからますます時が早く流れてゆくような感覚は、私の中では強くなってゆくのだろう。
母も含め昨夜は全員で珍しく外食をした、彼らが帰ってきてから初めての。
家を建て替えた2000年くらいからだと思うが、娘たちの成長に従ってということもないのだが、我が家では外食をすることがほとんどなくなりつつあるのだ。
妻も娘たちもあまり外食を好まないのである。我が家で食べることを優先する、そのことが私もうれしい。人間いったん外に出ると、生きている限り世の荒波が待ち受けている。だから家は、何よりもそれぞれの居場所があってゆっくりと食事ができるように、リビングも広くしたのである。
その家も建て替えて15年が経つ、私も今は家で過ごすことが多い。昼食はあるもので工夫して作る.作ることは苦にならないし愉しい。ほとんどは麺類だが。家にいて落ち着けるということは幸せなことであると思う。
家は、いわば私にとっては小さな砦のようなものなのである。帰ってゆく落ち着ける場所、そこに家人がいれば、そこがいわば世界の中心というわけだ。
家族という文字には、家が入っているように家という空間、場所が精神に与える影響の大きさは計り知れぬものがあると、個人的に私は考える。
だから家を建て替えるときに、子供たちにとっても、老いてからの私たちにとっても、長い時間を過ごす最も大切な生活の居場所と して、妻と二人で考えて作ったのがいまの家である。
あれから15年、娘たちは成長し私には思いもかけない義理の息子ができ、里帰りしてきても、家は十分にその機能を果たしてくれている。
さて、またしばらくはあえなくなるし、昨夜は夕食ののち、家でお茶をしながら母も含め全員での語らいの時間をリビングで過ごした。そこで明日の最後の昼食の話になったのだが、長女がみんなで作って食べようと提案。
結局、生地の皮からピザを作ることになり、私が床に就くころ娘。たちは遅くまでやっているスーパーに買い出しに行った。
怜君がパンを焼いたり(ドイツ語のクッキングの本を持っている)つくることが好きなので、好ましくも頼もしい。食べることに関して関心の強い男は信頼できる。
これから娘たちが、どのような人生を生きてゆくことになるのか、そしていつまで私が彼らの人生を見守れるか皆目わからないが、今しばらくはこの家で遠方から彼らの行く末を見守りながら、過ごしたいとあらためておもった。
またささやかに写真をアップできます、怜君のおかげで。 |
長女が生まれた時に植えた我が家のスダチの樹には、今年もたくさんの実がついている。帰京に際して持たせるつもりでいる。
忽然とまた話は変わるが、S氏の竹韻庵にこの秋何本か樹を植えるつもりである。まずとりあえず西条柿を(もっと歳を重ねたら私は干し柿作りがしたいのである。昔の人は自分が亡くなった後のことまで考えて樹を植えている、私もあやかりたいのである。
ところで今日からセバスチャンサルガドのフィルムがシネマクレールで始まると岡さんが教えてくださった。今年は、セバスチャンサルガドの存在を知りえた喜びの歳として刻まれる。
とりとめなき朝ブログになってしまったが、関心のある方は是非ご覧になっていただきたい。私ももう一度見るつもりである。