10年くらい続けている趣味の気になった書評ノート(不要になったノート) |
私自身もわずかな時間、私自身の稽古を自分なりにやっています。お稽古は普段の暮らしの中で、時間を自ら見つけて続けるということが、やはり一番肝要なことであると、3日坊主であった私自身が、思うことです。
観念的には、ウイリアム・シェイクスピア作品に出会えたことが、ひょっとしたら私の人生で最も大きな 出来事であったとさえ、いま私は思っています。
ところで、ケータイが思わぬところで発見されました。お隣の家の敷地に我が家のねこ、花を探しに行った妻が見つけました。我が家の花は、よく脱走するのですが、せんじつの脱走の際に、私がお隣に探しに行った際に、かがんで胸のポケットから落ちたみたいでした。
いずれにせよ、再び私はケータイ生活を今しばらく続けることと相成りました。電話番号もすべてが元通り、新しいケータイは不必要となりました。(絶対矛盾を、おそらくこの世とおさらばするまで、続けるのでしょう)
お葉書(素晴らしい写真の)を書いてくださった、岡さんはじめ、ご迷惑をかけた方がいらしたらごめんなさい。この場を借りて お詫びいたします。
ところで、ケータイが発見された日に、西大寺の百科プラザで、抜き稽古をしていた日に見学に来ていただいた、Iさんがその場で 入塾されたので遊声塾は一気に7人に増えました。
3月だけで4人も増えたのですから、私自身がこの2年の歩みを体感しているので、にわかには信じられない気もしないではないのですが、私はこの事実を謙虚に自信をもって受け止めて、この出会いを、真の意味で豊かにしてゆくべく、努力を重ねたく思っています。
塾生が増えるということは、私の一人一人に対しての責任感が増すということです。にわか半端なレッスンはできません。真摯に向かい合ってレッスンできる人数は限られてます。
きちんとフルに月謝を払ってまで参加してくださる塾生には、それに見合うレッスンを、水曜日以外にもやろうと、私は考えています。
百科プラザは
出会えた塾生との関係性をゆっくりと深めながら、今を生きる真の意味での豊かさを、シェイクスピアを介在しながら、私自身学んでゆけたらと思わずにはいられないのです。