いよいよ4月4日の遊声塾の発表会まであと1週間を切りました。全員6名揃っての稽古はわずかに2回しかしていません。
今日も個人的に抜き稽古をしますが、おそらく全員そろっての稽古はあと2回しかできないかもしれません。でも私はそれでいいのです。人様の前で全身でシェイクスピアを声に出して読む。
本を片手の公開稽古のような発表会になるかと思います。定員は35名、いま20名の予約があります。
ありがたいことです。多い少ないではなく、貴重な時間をさいてきてくださるのだから、努力します。私も含め恥をさらします。ほんの少しでもシェイクスピア作品の素晴らしさが伝わればと思います。
入塾したての、その初々しい今現在を生きる塾生の声も含め 、寛容なお心をもって受け止めてくださるように、主催者としてはお願いいたします。
私が驚くのは数回しか声を出していないにもかかわらず、 うまい下手ではなく今現在の自分の声を必死で考えだそうとする、入りたてその姿に出会えた時に、私の中に静かな感動が広がります。
塾を始めてよかったと思える瞬間、そうそう私が求めている声は、肉声なのです。血が騒ぐような今を生きる声なのです。
この世にたった一人の自分にしか出せない声 、書かれている文字を上手になぞるのではなく、意外な、思わぬ、予定調和ではない声の表現との出会い。
週に一度のお稽古の日以外に、どれだけ自主稽古できるかできないか。この年齢でも静かに今現在の限られた時間、声に出していると意外な自分の声(音)が生まれてきます。
稽古中の思わぬ自分自身の意外性の発見こそ が、私が遊声塾を立ち上げた動機なのだとあらためて実感するのです。
この実感感覚が救いです。稽古には集中力、持続力、意志力がかなり必要です。根気よく続けることを楽しめる人でないと、シェイクスピアの長いセリフの前に沈没してしまいます。
一息でかなりの長いセリフを言えるようになるのはなかなかに至難ですが、6人で読んでいると人間はやはりエネルギーが倍加され、刺激の交換が起こりいい雰囲気が生まれてきます。
シェイクスピア作品という大きな山に登るのは仲間が必要です。あと数名塾生が増えれば、十二夜という芝居は限りなく楽しく読めるようになる、ということが6名で読んでみてはっきりとわかりました。
なによりも、主催者である私が楽しそうに読む。口を動かし、体動かし、声をだしながら、日々老いてゆく自分を受け入れながらも、ある種踏んばる気力をキープする。
日々の生きる確認に、シェイクスピアのテキストは私には最高というしかない 。
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