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2014-08-04

動ける身体を意識して気持ちよく動かし、今を楽しむ。

この数日雨のために近くの運動公園にゆけない日が続いているが、図書館もあるし、夢が原退職後は、平均すると週に3日くらいは行っている。

特にサンナンで働くようになってからは、身体のコンディションを整えるために、目的を持って通うようになってきている。

夏は暑いので、夕方6時すぎから行って、3~40分位を過ごしている。だいたいやることは決まっているが、その日の気分で、4パターンくらい、身体を動かす。欠かさないのは、片足でやる座っては立つ繰り返しと、鉄棒にぶら下がることと、その日の体調で最低3回の懸垂を、3セット繰り返す、くらいである。

後、裸足で3週くらいグランドをかるく速歩することが、最近加わった。まあこれも、遊び感覚でやっている。何事ももうこの歳になると、遊び心、という感じで余裕を持って、やれる自分がいる。

それはやはり、親としての最低のつとめを果たした後の、ご褒美のようなもの、ではないかと考えている。

話を戻す。私は腰痛持ちで、何度もぎっくり腰を若いころから繰り返してきたが、40歳代の終わりのころ、かなりの腰痛に見舞われてから、私は腹筋を鍛えることを続けている。最初は全然できなかった。

膝を曲げ、丹田を意識してかるく上半身を上げる程度のきわめて、負荷のかからない腹筋体操である。以来この歳になるまで、ほとんど毎日これだけは、病気の時以外欠かしたことがない。

いらい、私はぎっくり腰になったことがない。骨は筋肉が支えているから、ある程度の筋肉がないと身体が、まず思うように動かなくなってくる。特に私の場合は、若いころに身体をいたわってこなかったので、そのことに対する気づきが遅かったのだが、かろうじてギリギリのところで今のところ間にあったのではないかと思っている。

何事も3日坊主、小さいころから根気が続かず、そのくせ夢見がちなことの多い、いわばちゃらんぽらんな性格をなんとかしたいという、今の言葉で言えば、トラウマを抱えた人生を、送ってきた。(過去形なのは、少しは改善されたという自覚があるからである)

思春期から世の中に出て、このままではいけないと、自分自身を叱咤激励してきたかのような、個人的我がお恥ずかしき人生のいまだまだ途中である。

私のようなとりたててぬきんでた能力のない輩は、人並に努力することくらいにしか、生き延びる方法が、今も私にはないのである。唯一の宝である我が体を、なんとかして活かして耕す中で、何かが育ってくる実感を、持てたからこそ、生き延びることができたのではないかと思うのだ。

つらい努力も若いころはして、やはり自信をつけるしかないのではないかと、私は思う。またつらくとも若いからこそできるのではないかと、今となっては思う。もうこの歳になると、したいとも思わないし、第一そんなことはする必要もない、愉しい努力のできる、余裕の持てる今が嬉しい。

ところで、私が生まれて初めて懸垂に挑戦したのは、富良野時代だから31歳だ。卒塾していらい30年近くやっていなかったのだから、当初まったくできなかった。でも昔、やったことがあるという、身体の記憶は、かすかに残っていたのである。挑戦して出来た時は、天を仰いだ。

懸垂は、私の最も苦手な運動の一つだったのだが、回数ではなく、それができた時の喜びは、やればできる(やらなければできない)、いわば再び自信のような光が身体に差し込んだのである。

ヒトと比較するのではなく、自分を見つめてゆく中での、弱点のようなものを自覚し、遊び心で克服してゆくことにこそ、いわば生きてゆく面白さがあるのではないかと、最近は思うくらいだ。(人それぞれなのだから、無理してやるのは、愚かだと思う)

老いてゆく中で無理をするのではなく、下ってゆく中での楽しみの方法ようなものがあるのなら、一回こっきりの人生を深めてゆく味わいを、私は先人たちの歩みの中に見つけてゆきたいと思う。

ともあれ今日もまた、午前中Uさんと、シェイクスピアのオセロを二人きりで読める幸福な時間が持てる。意識が動く身体が存在していればこそである。

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